生協の低公害車開発・普及への取り組みの意義

2024年6月15日

電気トラック、LPG(エルピーガス)、DME、GTLなどを燃料とする自動車の研究を行った。
併せて、必要な燃料充填システムなどを研究しました。

主として生協においては、電気・LPGまでが主たる取り組みでした。
研究開発は進みましたが、実用化への道はまだまだのようです。

温故知新 古きを訪ねて新しきを知る低公害車としてのLPGトラックの開発と普及

目次

1991年1月 7月に日本生協連からコープ電動車両開発㈱)(ユーコープ、コープかながわ)に移籍半年前の想い「21世紀を思う」

199101_ローリエ35年前の想い若狹良治ダウンロード

「ドン・キホーテ」となるも「良し」

1999年放送 生協の低公害車開発と普及の意義について

1999年放送 生協の低公害車開発と普及の意義について(ユーチューブで動画8分
内容 8分間朝日新聞系列のCS放送「朝日ニュースター8」で1999年5月4日、5日(20:00~)に「低公害車特集」の一部として放映されたものです。
旧聞ですが、関係分(8分間)をYouTubeにアップしました。
現在、食料問題として「コメ価格の米不足、価格高騰」の状況で、農林水産省は5年毎の「食料・農業・農村基本計画」の見直しの中で、食料自給率や飼料用米に対する位置づけがあいまいな状況ですが、政策を進めていく手法が企業などで行われているマニュアル分析・改善手法を採用していることは実情に合わないのではないかと指摘したい。
この旧聞の中で生協の組織が自分たちの課した「車両低公害化プロセス」として、配送トラックの電動化を推進したが、現実に研究・実践を進めた結果、大切なことは、一人の一歩を実現することではなく、1000年の一歩を実現するために、電気トラックを研究する中でLPガス自動車の実用化を優先したことを報告するものです。
自らが設定した枠を乗り越えていくことの大切さを、「ドン・キホーテで良いではないか!」と評している。

コープデリnews|グループ全体で137台のEV車導入を計画

2023年03月28日
コープデリ生活協同組合連合会(埼玉県さいたま市、土屋敏夫理事長)は3月27日(月)、2050年度CO2排出量実質ゼロを目指し、2023年度から2024年度の2年間で、コープデリグループ(6会員生協とコープデリ連合会、その子会社)全体でEV車137台(うち宅配トラック3台)の導入を進めると発表した。


コープみらいで導入予定のEV車デザイン

車両の電動化とあわせて再生可能エネルギーの創出・利用を進めることで、化石燃料の使用量を削減し、車両燃料由来のCO2排出量を削減する。

コープデリグループでは気候変動問題の解決とSDGs達成に向けて、2050年度CO2排出量実質ゼロを目指し、中間目標として2030年温室効果ガス削減目標(2013年度比CO260%削減)を設定した。重点的に取り組む施策として「電気使用量の削減」、「車両燃料の低炭素化」、「再生可能エネルギー創出・使用」を3つの柱と定め、コープデリグループ2030年温室効果ガス削減目標達成へのロードマップを策定している。

2023年度~2024年度の期間において、グループ全体で、電気使用量の削減に向けた機器の更新、EV車137台の導入、自家消費太陽光発電設備13施設の新設を進める。ロードマップでは社会情勢や計画の進捗状況に応じ、2023年度から少なくとも2年ごとに是正を行い、目標達成を目指す。

「電動化を主とした車両燃料の低炭素化」の取り組みについては、2030年度までにグループ全体で車両の電動化等を進め、化石燃料の使用量を削減し、車両燃料由来のCO2排出量を削減する。また、電動化が難しい大型車両・充電インフラが整わない地域で使用する車両等については、電気以外の次世代エネルギー(バイオ燃料・再エネ由来水素等の代替燃料)の動向を注視し、導入を視野に情報収集に努めるとしている。

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生協の電気トラック普及活動と自治体との交流の本格的な出発
1991年11月11日 新横浜国際ホテルで交流会を開催

「協う」第122号.pwd (kurashitokyodo.jp)が伝える生協の低公害車普及の活動
1994年が本格的な実行開始の年!!

低公害車を日本の生協が本格的に導入したのは1994年であった。

 温暖化問題が顕在化するよりも前であり、日本の流通業者の中でも群を抜いて早かった。
 その後、多くの流通業者が低公害車を採用したが、物流の低公害化において、生協は先駆けであったと言えよう。
 生協の低公害車の導入と普及に大きな役割を果たしたのが「コープ低公害車開発株式会社」 である。
同社は2006年3月に社会的使命を果たしたとして、惜しまれつつ解散したが、社会問題の解決への取り組みを事業化するソーシャルビジネスが注目を集める今日、生協の日用品配送事業における環境問題対応を考え続けてきた同社の役割を改めて検討することには意味があるだろう。
 今回は、同社の設立当時から低公害車の開発・普及に携わってきた元専務・若狭良治氏(現社団法人DME自動車普及推進委員会理事・事務局長)への取材をもとにして、生協の社会的事業者としての役割について考えてみたい。

 同社の解散後も各地の生協は低公害車に関して種々の努力を続けているが、 行政との協力は不調となっている。
 行政に認められることが全てではないにしろ、生協が社会の一構成員として受け入れられるためには、自らが社会的な存在であることを自覚して、社会にどのように関わるかを考え、実行することが必要とされているのである。

くらしと協同の研究所
京都市中京区烏丸通二条上る蒔絵屋町258番地 コープ御所南ビル4階
生協の低公害車開発・普及への取り組みの意義
加賀美 太記(かがみ たいき)(京都大学大学院経済学研究科博士後期課程、「協う」編集委員)
「協う」第122号.pwd (kurashitokyodo.jp)

特集 報道記事に見る「生協」とコープ低公害車開発の16年

コープ低公害車開発㈱の閉鎖、16年間の活動の終焉

電気トラック(EV)からLPガストラック(低公害車:EcoV)へ

生協での低公害車開発活動の終焉と今後の課題解決への道筋

投稿(自治体職員の意識の変換)

生協の低公害車開発・普及への取り組みの意義
加賀美 太記(かがみ たいき)
(京都大学大学院経済学研究科博士後期課程、「協う」編集委員)
「協う」第122号.pwd (kurashitokyodo.jp)
http://www.kurashitokyodo.jp/publication/pdf/kanau122.pdf

1992年9月より電気トラックに変わる実現可能で、
ディーゼルトラックからの代替が実現できる車両として、
LPGトラックの開発を進めた………。

2006年3月 全国生協におけるLPGトラック導入状況

各地の生協の低公害車導入の道筋  様々!!

表題:「低公害車政策とその問題点」
所属:金沢大学大学院社会環境科学研究科国際社会環境学専攻
氏名:志水照匡

表題:「低公害車政策とその問題点」
所属:金沢大学大学院社会環境科学研究科国際社会環境学専攻
氏名:志水照匡
英語タイトル:「Issues and Problems about the Policy of the Low Emission Vehicles」
ローマ字表記氏名:SHIMIZU Terumasa
英文要旨(Abstract):
 Over five million low emission vehicles were spread in Japan until June, 2003. However, the policy of the low emission vehicles has a lot of problems. As the result of my analysis, the policy of the low emission vehicles needs four points of view listed below.
(1)Regulating amount of the gasoline-based cars and their mileage.
(2)Reducing dependence of fossil fuel and  supplying energy stably based on distributed energy.
(3)Reexamining traffic system such as traffic regulations and traffic congestion.
(4)Making clear the existing system about the policy of the low emission vehicles and presentation of the policy.
日本では2003年6月までに500万台以上の低公害車が普及した。しかし、低公害車政策には多くの問題を抱えている。分析の結果、低公害車政策には以下の4つの視点が必要である。
(1)ガソリン車の台数と燃費を規制する。
(2)化石燃料への依存を減らし、分散型エネルギーによるエネルギーの安定供給を図る。
(3)交通規制や渋滞などの交通システムを見直す。
(4)低公害車政策に関する既存の制度を明らかにし、政策を提示する。

この低公害車を日本の生協が本格的に導入したのは1994年であった

はじめに

低公害車-天然ガスや電気など、ガソリンや軽油に比べて環境負荷の少ない燃料を利用した自動車を指す。
地球温暖化などへの意識の高まりや、自動車産業の競争環境の変化を受けて、現在急速に開発・普及が進んでいる。
この動きは一般消費者向けよりも、事業者向けにおいてより顕著である。
てんぷら廃油を燃料とした路線バスや運送業者のトラックなど、多くの事業者が低公害車を事業に導入している。

この低公害車を日本の生協が本格的に導入したのは1994年であった。

温暖化問題が顕在化するよりも前であり、日本の流通業者の中でも群を抜いて早かった。
その後、多くの流通業者が低公害車を採用したが、物流の低公害化において、生協は先駆けであったと言えよう。
生協の低公害車の導入と普及に大きな役割を果たしたのが「コープ低公害車開発株式会社」 である。
同社は2006年3月に社会的使命を果たしたとして、惜しまれつつ解散したが、社会問題の解決への取り組みを事業化するソーシャルビジネスが注目を集める今日、生協の日用品配送事業における環境問題対応を考え続けてきた同社の役割を改めて検討することには意味があるだろう。
今回は、同社の設立当時から低公害車の開発・普及に携わってきた元専務・若狭良治氏(現社団法人DME自動車普及推進委員会理事・事務局長)への取材をもとにして、生協の社会的事業者としての役割について考えてみたい。

電気自動車開発の挫折からLPGトラックへ

低公害車であるLPG(液化石油ガス)トラックを、生協が初めて本格的に配送トラックとして採用したのは1994年であるが、その取り組みは4年前の1990年の「コープ電動車両開発株式会社」の設立をきっかけとして始まっていた。
コープ低公害車開発株式会社の前身である同社は、コープかながわ、コープしずおかなど全国の20生協が共同出資で設立した。
名前の通り、当初は配送用トラックを納入している自動車会社と共同で、電気自動車の研究開発・普及を進めることが役割であった。
しかし、いまだ電気自動車が十分に普及していないことからわかるように、モーターや蓄電池などの技術的ハードルが高く、開発費用も一台数千万円と高額であった。
そのため、独自の資金で開発した2台と、 東京都の補助を受けて東京の生協に納車した試作車の3台、計5台を開発した段階で電気自動車の開発は断念し、1993年から石油代替燃料であるLPGを燃料とする低公害車の開発・普及へと舵を切ることになった。
LPGエンジンは黒煙を出さず、窒素酸化物の排出量も少ないなど、 クリーンなエンジンという特徴を持っており、燃料補給スタンドも比較的広い範囲に存在しており、インフラ面でも現実性を持っていたからである。
同年11月には試作車が完成し、 翌94年7月にコープえひめが第一号車を導入したのを皮切りに、全国の生協で導入が進むこととなった。
1994年6月には、コープ電動車両開発株式会社を「コープ低公害車開発株式会社」と社名を変更し、その普及にまい進することとなる。
最盛期には全国で5,500台を超えたLPG配送トラックはこうして誕生したのである。

職員間での意見の交流担当者会議の意義

このように、LPGトラックの開発・普及は一見すると順調に進んだかのように見える。
しかし、普及には様々な困難が伴った。
たとえば、荷物を積んで坂道を走る配送トラックに必要なパワーが本当に得られるのかといった点が、生協の車両担当者の不安の種となっていた。
そのため、担当者を集めた生協車両低害化実務担当者会議を開催した。
若狭氏によれば、この担当者会議の果たした役割は大きく、 全国各地の独自な課題を車両開発に反映させることができただけでなく、担当者が車両開発に関わることを通じてLPGトラックの意義を学び取り、積極的に各地の生協へ意義を伝えていってくれたという。
それだけではなく、 実際に配送ルートを走らせるなどのテスト・デモ走行を全国各地でおこなった。
1993年11月に完成したLPGトラックの試験車のテスト走行だけでなく、 開発当初のトヨタから、三菱、マツダ、いすゞとメーカーを増やしながら、併せて全国キャラバンでLPGトラックのデモ走行をおこなうなど、低公害車への理解を深めてもらう取り組みを進めたのである。

組合員への普及を目的とした取り組み

職員だけではなく、 組合員の理解を得ることも同社では忘れていなかった。
会員制組織でもある生協は、学習する組合員という強みを持つものの、反面一つ一つの活動について組合員の理解を得ていくことが不可欠である。
そのため、若狭氏らは全国各地を飛び回って低公害車についての学習会を組織するなど、組合員を対象とした低公害車の学習活動、セミナーの開催に取り組んだという。
生協が低公害車導入の検討を始めた1990年代初頭は、温暖化などの環境問題についての社会的な関心はそれ程高かったわけではない。
当時の問題は大気汚染などの公害であり、それも1980年代の各地の公害闘争の終結とともに関心が廃れつつある状況であった。
そのため、 最初の反応は決して良いものではなかった。
それでも、安全・安心を掲げる生協が排ガスをまき散らしながら事業を進めている現状への憤りや、ドライバーに代表される職場や地域の健康問題を何とかしたい、という思いを伝えるべく活動を続けていった。
その結果、徐々に組合員の理解を得ることができたという。
そのような理解ある組合員の声がLPGトラックの普及を後押ししてくれたのである。

社会的事業者としての生協の役割

コープ低公害車開発株式会社と、 それを構成する生協の担当者や組合員を中心とした積極的な取り組みによって、 生協は配送トラックの低公害化という社会的取り組みにおいて一歩先を行くこととなった。
その背景には、担当職員と組合員の理解、そして若狭氏らの「排ガスによる大気汚染・健康問題を何とかしたい」という強い思いがあった。

この事例から社会的事業者としての生協の特徴と役割について考えみよう。
ソーシャルビジネスの難しさは、社会問題の解決の取り組みから収益をあげる点にある。
社会的な意義があるからといって、誰もが高いお金を支払ってくれるわけではない。
その点、社会問題に対して意識の高い組合員を相手とした事業をおこなう生協は、ソーシャルビジネスの基礎的な条件を持っていると言えるのではないだろうか。
しかし、そのためには職員の強い思いと組合員を巻き込む取り組みの二つが必要となろう。
その際は、コープ低公害車開発の進めた学習活動のように、社会問題に対して生協がどう関わっていくのかを議論することが重要となる。
その議論を踏まえ、職員・組合員が一体となって事業・運動に取り組んでいけることは、ソーシャルビジネスにおける生協の強みだと考えられる。
くわえて、これらの取り組みによる「公共性」の追及が、生協の社会性を担保することに繋がる。
たとえば、コープ低公害車開発株式会社は低公害車の普及を進めるという社会的な目的を持った組織であり、生協組合員のためだけの組織ではなかった。
そのため、行政から支援を受け、連携することも可能であった。
同社の解散後も各地の生協は低公害車に関して種々の努力を続けているが、 行政との協力は不調となっている。
行政に認められることが全てではないにしろ、生協が社会の一構成員として受け入れられるためには、自らが社会的な存在であることを自覚して、社会にどのように関わるかを考え、実行することが必要とされているのである。
職員・組合員がともに社会問題に関わっていけることが生協の特徴であり、その取り組みは自らの存続にとっても大きな意味を持つ。
とはいえ、事業連合化などによって各生協の規模が拡大し、組合員の性質も大きく変わった今日においても、そのようなことを追及するのは難しいかもしれない。
しかし、そういった変化の渦中にある今だからこそ、社会問題に対する職員と組合員の思いを活かした事業・運動を考えていく必要があるのではないだろうか。

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「協う」とは?
所報「協う」は、2012年3月発行の129・130合併号をもって休刊しています。
既発行分はPDFで閲覧いただけます。

http://www.kurashitokyodo.jp/publication/kanau_bk.html

「くらしと協同の研究所」とは
くらしや地域、協同組合に関する調査研究を推進する研究所です。
西日本の生協をはじめとする協同組合や団体、研究者、生協役職員・組合員等の協力と参画によって成り立っています。
研究会やシンポジウム、セミナーの開催や、『くらしと協同』の発行などを通じて研究情報を発信しています。
くらしと協同の研究所
京都市中京区烏丸通二条上る蒔絵屋町258番地 コープ御所南ビル4階

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「協う:かなう」2010年12月 No.122

「協う」とは?
所報「協う」は、2012年3月発行の129・130合併号をもって休刊しています。
既発行分はPDFで閲覧いただけます。
http://www.kurashitokyodo.jp/publication/kanau_bk.html

日刊自動車新聞 【車笛】2010年12月4日
主体性と社会性、組織目的と社会的な役割
DME自動車普及推進委員会 事務局長 若狭良治

日刊自動車新聞 【車笛】
2010年12月4日


主体性と社会性、組織目的と社会的な役割
DME自動車普及推進委員会 事務局長 若狭良治


■車両の低公害化推進の主体的努力と社会的な評価

 先月、京都にある生活協同組合のシンクタンクの一つである「くらしと共同の研究所」の発行する情報誌「協う=かなう」の編集部の取材を受けた。
 改めて、私が従事した1991年から2006年までの15年間の活動の振り返りと役割について考える機会を得た。
 現在の活動の意味合いと課題を考える上で大変参考になる評価を得ることができた。
 少し長くなるが、「協う」に掲載された文書を紹介しながら、今日的な役割を考えてみた。
 文書は、京都大学の大学院で博士過程で勉学に勤しんでいる加賀美 太記(かがみ たいき)さんのレポートである。

 
■生協の低公害車開発・普及への取り組みの意義 (紹介文書その1)
 低公害車――天然ガスや電気など、ガソリンや軽油に比べて環境負荷の少ない燃料を利用した自動車を指す。
 地球温暖化などの環境問題への意識の高まりや、自動車産業の競争環境の変化を受けて、現在急速に開発・普及が進んでいる。
 この動きは一般消費者向けよりも、事業者向けにおいてより顕著である。
 たとえば、てんぷら廃油などを燃料とした路線バスや運送業者のトラックなど、多くの事業者が低公害車を事業用に導入している。
 この低公害車を日本の生協が本格的に導入したのは1994年であった。
 温暖化問題が顕在化するよりも前であり、日本の流通業者の中でも群を抜いて早い。
 その後、多くの流通業者が低公害車を採用したが、物流における低公害化の先駆けであったと言えよう。
 生協における低公害車の導入と普及に大きな役割を果たしたのが「コープ低公害車開発株式会社」である。
 同社は2006年3月に社会的使命を果たしたとして、惜しまれつつ解散したが、社会的問題の解決への取り組みを事業化するソーシャル ビジネスが注目を集める今日、生協の日用品配送事業における環境問題対応を考え続けてきた同社の役割を改めて検討することには意味があるだろう。
 今回は、同社の設立当時から低公害車の開発・普及に携わってきた元専務・若狭良治氏(現社団法人DME自動車普及推進委員会理事・事務局長)への取材をもとにして、生協の社会的事業者としての役割について考えてみたい。


■電気自動車開発の挫折からLPGトラックへ (紹介文書その2)
 低公害車であるLPG(液化石油ガス)トラックを、生協が初めて本格的に配送トラックとして採用したのは1994年であるガ、その取り組みは4年前の1990年の「コープ電動車両開発株式会社」の設立をきっかけとして始まっていた。
 コープ低公害車開発株式会社の前身である同社は、コープかながわ、コープしずおかなど全国の20生協が共同出資で設立した。
 名前の通り、当初は配送用トラックを納入している自動車会社と共同で、電気自動車の研究開発・普及を進めることが役割であった。
 しかし、いまだに電気自動車が十分に普及していないことからわかるように、モーターや蓄電池などの技術的ハードルが高く、開発費用も一台数千万円と高額であった。
 そのため、独自の資金で開発した2台と東京都の補助を受けて、東京の生協に納車した試作車の3台を開発した段階で電気自動車の開発は断念し、1993年から石油代替燃料であるLPGを燃料とする低公害車の開発・普及へと舵を切ることになった。
 このLPGエンジンは黒煙を出さず、窒素酸化物の排出量も少ないなど、クリーンなエンジンという特徴を持っており、燃料補給スタンドも比較的広い範囲に存在しており、インフラ面でも現実性を持っていたからである。
 同年11月には試作車が完成し、翌94年7月にコープえひめが第一号車を導入したのを皮切りに、全国の生協で導入が進むこととなった。
 94年6月には、コープ電動車両開発株式会社を「コープ低公害車開発株式会社」と社名を変更し、その普及にまい進することとなる。
 最盛期には全国で5,500台を超えたLPG配送トラックはこうして誕生したのである。


■職員間での意見の交流――担当者会議の意義 (紹介文書その3)
 このように、LPGトラックの開発・普及は一見すると順調に進んだかのように見える。
 しかし、普及には様々な困難が伴った。
 たとえば、荷物を積んで坂道を走る配送トラックに必要なパワーが本当に得られるのかどうかといった点が、生協の車両担当者の不安の種となっていた。そのため、同社では担当者を集めた生協車両低害化実務担当者会議を開催した。
 若狭氏によれば、この担当者会議の果たした役割は大きく、全国各地の生協の独自な課題を車両開発に反映させることができただけでなく、担当者が車両開発に関わることを通じてLPGトラックの意義を学び取り、積極的に各地の生協へ意義を伝えていってくれたという。
 それだけではなく、実際に配送ルートを走らせるなどのテスト・デモ走行を全国各地で行った。
 93年11月に完成したLPGトラックの試験車のテスト走行だけでなく、開発当初のトヨタから三菱、マツダ、いすゞとメーカーを増やしながら、併せて全国キャラバンでLPGトラックのデモ走行をおこなうなど低公害車への理解を深めてもらう取り組みを進めたのである。


■組合員への普及を目的とした取り組み  (紹介文書その4)
 職員だけではなく、組合員の理解を得ることも同社では忘れていなかった。会員制組織でもある生協は、学習する消費者としての組合員という強みを持つものの、反面一つ一つの活動について組合員の理解を得ていくことが不可欠である。
 そのため、若狭氏らは全国各地を飛び回って低公害車についての学習会を組織するなど、組合員を対象とした低公害車の学習活動、セミナーの開催に取り組んだという。
 生協が低公害車導入の検討を始めた1990年代初頭は、温暖化などの環境問題についての社会的な関心がそれ程高かったわけではない。当時の関心は大気汚染などの公害問題であり、それも1980年代の各地の公害闘争の終結とともに関心が廃れつつある状況であった。そのため、最初の反応は決して良いものではなかった。
 それでも、安全・安心を掲げる生協が排ガスをまき散らしながら事業を進めている現状への憤りや、ドライバーに代表される職場や地域の健康問題を何とかしたい、という思いを伝えるべく活動を続けていった。その結果、徐々に組合員の理解を得ることができたという。そのような理解ある組合員の声がLPGトラックの普及を後押ししてくれたのである。


■社会的事業者としての生協の役割  (紹介文書その5)
 コープ低公害車開発株式会社とそれを構成する生協の担当者や組合員を中心とした積極的な取り組みによって、生協は配送トラックの低公害化という社会的取り組みにおいて一歩先を行くこととなった。
 その背景には、担当職員と組合員の理解、そして若狭氏らの「排ガスによる大気汚染・健康問題を何とかしたい」という強い思いがあった。
 この事例から、考えられる社会的事業者としての生協の特徴と役割について考えみよう。
 ソーシャルビジネスの難しさは、社会的問題の解決を事業の中に組み込みから収益をあげる点にある。
 社会的な意義があるからといって、誰もが高いお金を支払うなどの協力をしてくれるわけではない。
 その点、社会問題などに対して意識の高い組合員を相手とした事業をおこなう生協は、ソーシャルビジネスの基礎的な条件を持っているといえるのではないだろうか。
 しかし、そのためには職員の強い思いと組合員を巻き込む取り組みの二つが必要となろう。
 その際は、コープ低公害車開発の進めた学習活動に見られるような、社会問題に対して生協がどう関わっていくのかを議論することが重要となる。
 その議論を踏まえ、職員・組合員が一体となって事業・運動に取り組んでいけることは、ソーシャルビジネスにおける生協の強みだと考えられる。
 くわえて、これらの取り組みによって「公共性」を追及が、生協の社会性を担保することにも繋がる。
 たとえば、コープ低公害車開発株式会社は低公害車の普及を進めるという社会的な目的を持った組織であり、生協組合員のためだけの組織ではなかった。
 そのため、行政から支援を受け、連携することも可能であった。同社の解散後も各地の生協は低公害車に関して種々の努力を続けているが、行政との協力は不調となっている。
 行政に認められることが全てではないにしろ、生協が社会の一構成員として受け入れられるためには、自らが社会的な存在であることを自覚して、社会にどのように関わるかを考え、実行することが必要とされているのである。
 職員・組合員がともに社会問題に関わっていけることが生協の特徴であり、その取り組みは自らの存続にとっても大きな意味を持つ。
 とはいえ、事業連合化などによって各生協の規模が拡大し、組合員の性質も大きく変わった今日においては、そのようなことを追及するのは難しいかもしれない。
 しかし、そういった変化の渦中にある今だからこそ、社会問題に対する職員と組合員の思いを活かした事業・運動を考えていく必要があるのではないだろうか。(紹介文書終了)


■DME自動車普及推進活動の現状と課題
 燃料としてのDMEが話題となり、燃料の使い道としての具体的な研究開発などの活動が始まった10年がたった。
 当初の国や関係省庁の取り組みや資金提供のレベルは残念ながらだいぶ落ち着いたものになってきている。
 しかし、まったく新しいエネルギーの開発研究と利用技術は3年や5年で成り立つはずもないのは普通に考えればわかる話である。
 同時に、多くの企業や(国家的戦略にたった)長期的展望を持つべき国のレベルでも、3年から5年レベルで成果を上げることが求められ、世界的なブームであるバイオや電気、省エネなどの話題となりやすい話に様々な研究が流されているように感じる昨今である。
 DME自動車研究開発について言えば、DME自動車技術指針が今年度中には出され、量産化に必要なDME自動車構造取扱基準の策定に進むレベルに到達した。
 また、燃料インフラの整備としてのDME充填設備(スタンド)設置基準の現実的な策定も始まった。約10年目である。
 これが早いか遅いかといえば、当初の戦略がしっかりしておれば、2から3年は早まったかもしれない。
 しかし、お隣の中国では猛烈なスピードでDME製造にまい進したが、現在は安全性や具体的な利用技術の遅れなどで再構築が求められている。
 むしろ、韓国では、DMEも日本に追いつき、追い越せと研究開発が盛んである。
 日本でのこれからの推進について、DMEの持っている燃料や排ガス性状のクリーンさは5年後にも予測される自動車排ガス規制の強化においての 優位性は間違いがないと確信する立場から、自らに一層の頑張りを求めている今日である。
 過去の活動の役割を改めて振り返って改めて確信を強めた。

1991年
46歳での転身 日本生協連中央地連次長からコープかながわへ移籍

1991年 7月 コープかながわへ移籍
 コープ電動車両開発株式会社 業務部長。

 社名変更:コープ低公害車開発株式会社 代表取締役専務。
 この間、電気トラック・LPガストラック・DMEトラックなどの低公害車開発普及に従事。

電気自動車開発の挫折からLPGトラックへ

■電気自動車開発の挫折からLPGトラックへ (紹介文書その2)
 低公害車であるLPG(液化石油ガス)トラックを、生協が初めて本格的に配送トラックとして採用したのは1994年であるが、その取り組みは4年前の1990年の「コープ電動車両開発株式会社」の設立をきっかけとして始まっていた。
 コープ低公害車開発株式会社の前身である同社は、コープかながわ、コープしずおかなど全国の20生協が共同出資で設立した。
 名前の通り、当初は配送用トラックを納入している自動車会社と共同で、電気自動車の研究開発・普及を進めることが役割であった。
 しかし、いまだに電気自動車が十分に普及していないことからわかるように、モーターや蓄電池などの技術的ハードルが高く、開発費用も一台数千万円と高額であった。
 そのため、独自の資金で開発した2台と東京都の補助を受けて、東京の生協に納車した試作車の3台を開発した段階で電気自動車の開発は断念し、1993年から石油代替燃料であるLPGを燃料とする低公害車の開発・普及へと舵を切ることになった。
 このLPGエンジンは黒煙を出さず、窒素酸化物の排出量も少ないなど、クリーンなエンジンという特徴を持っており、燃料補給スタンドも比較的広い範囲に存在しており、インフラ面でも現実性を持っていたからである。
 同年11月には試作車が完成し、翌94年7月にコープえひめが第一号車を導入したのを皮切りに、全国の生協で導入が進むこととなった。
 94年6月には、コープ電動車両開発株式会社を「コープ低公害車開発株式会社」と社名を変更し、その普及にまい進することとなる。
 最盛期には全国で5,500台を超えたLPG配送トラックはこうして誕生したのである。

1996年11月 神奈川県「かながわ地球環境賞」を受賞
1998年 6月 神奈川県の推薦で環境庁「地域環境保全功労賞」を受賞

2000台達成を喜ぶ筆者

1999年6月 全国の生協および生協の委託宅配事業者のLPガストラックが2000台を達成した。
1990年に電気トラックを目指していた時期に
2000年に2000㎏(2㌧積載車)2000台導入を目指し、
コープ電動車両開発(株)の愛称を「CO-O・EV2000」と称した。

また、通商産業省は全国で30万台の電気自動車を達成すると標榜していた。
結果として、低公害車(LPガストラック)で、
2000年に1.5㌧(=約2トン)積載車を2000台超えの導入を実現した。

 結果的には、2000年に1・5、積載のLPガストラック2850台を全国の生協に導入。
 コープ低公害車開発は2006年3月の会社閉鎖までに、累計(廃車も含めて)で7000台以上、
 生協の現有車両数として配送車両の35%(5500台)をLPガストラックに転換できた。

2006 年3 月20 日、コープ低公害車開発株式会社を閉鎖、役員退任
2006 年3 月21 日、株式会社北海道自然エネルギー研究センター(NERC) 取締役/東京支所
2006 年3 月15 日、任意団体:DME自動車普及推進委員会 事務局長就任
2010 年4月1 日、   一般社団法人DME自動車普及推進委員会に組織変更 理事・事務局長
            株式会社NERC退任。
            一般社団法人DME自動車&バイオDME普及推進委員会 退任
2007年7月~2014年3月 任意団体 超多収穫米普及連絡会 発起人、運営委員
2014年4月~2015年6月 一般社団法人日本飼料用米振興協会 設立 監事

2014年5月~      特定非営利活動法人未来舎 副理事長 現職
2015年3月25日~    一般社団法人日本飼料用米振興協会 理事・事務局長 現職

2010年4月~2012年3月(第3~4期)居住マンション管理組合・理事長
2016年4月~2018年3月(第9~12期)居住マンション管理組合・理事長
2018年4月~2020年3月(第11~12期)管理組合・理事長
2020年4月~2022年3月 管理組合大規模修繕専門委員会委員長
2022年4月~2024年3月(第15~16期)メロディハイム武蔵浦和プライムフィールド管理組合 理事長

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1998年6月6日 朝日新聞 朝刊 「ひと」欄
若狭良治 低公害車の普及で表彰「コープ」で指揮をとる

1998年6月6日 朝日新聞 朝刊 ひと欄
 若狭良治 低公害車の普及で表彰「コープ」で指揮をとる(ひと)
【人(ひと)】
 生協のマークをつけたトラック型のLPG車が目につく。
 食料や日用品を配達するための、液化石油ガスで動く低公害車だ。
 いくつもの生協が出資したコープ低公害車開発(本社・横浜市)が五日、環境庁の地域環境保全功労者に選ばれた。
 統括マネジャーとして開発を考え、全国の生協に導入を働きかけてきた。
 「といっても、正社員は私一人」と笑うが、千四百八十台まで増やした立役者だ。
 日本生協連合会に勤めていた七年前、幹部に請われて職場を変わり電気自動車づくりを始めた。 数千万円かけて試作車ができたが、バッテリー不足で長く走れなかった。
 「使い勝手が悪いし、値段も高い。だからといって一台しか造れないのでは、組合員に納得してもらえない」
 途方に暮れているとき、LPGを使うごみ収集車をトヨタ自動車が開発していると聞いた。
 ディーゼル車に比べ窒素酸化物が少なく、黒煙も粒子状物質も出ない、という。
 はたして売れるかと不安そうなトヨタの技術者を「普及できます」と説得し続けて一年、一回り小さなエンジンをつけた第一号ができた。
 全国を歩いた。
 ある市で「一番急な坂道を上ったら信用する」と言われ、挑戦する車を応援しながら見守った。 今では全国の生協がトラックの一割強を乗り換えている。
 電気や天然ガスで動く低公害車四種の開発には国から補助がでる。
 「役人は補助で低公害車を増やせばよいという発想です」。
 金がメーカーに流れ、開発の自主努力をはばんでいると批判的だ。
 「千四百台にもなるとメーカーも行政も評価せざるをえなくなった」
 そばで手伝う女性たちは「出世欲、損得なしに世の中をよくしたいと思っている」と評する。
 北大で学生運動に没頭して自治会をつくったころの情熱を持ち続けている。
 わかさ・りょうじ 「環境をよくする生協運動とは何か、をいつも考えています」。53歳。
 (文・杉本裕明 写真・高波淳)

表彰式には、コープ低公害車開発㈱を代表して取締役の濱口廣孝(首都圏コープ事業連合 理事長)さんが出席しました。受賞後、受付で記念写真を撮影しました。

【ひとこと・若狭良治】機関月刊誌 CO-OP・EVプログレス掲載時の文書

 コープ低公害車開発株式会社が神奈川県環境部のご推薦を受けて、「平成10年度 地域環境保全功労者表彰」を受賞することができました。
推薦いただいた神奈川県の担当の方は全国を対象とした活動を進めてきていることで、「地域」ということではないのだがということでした。

 しかし、私どもは、この間LPGトラックの普及活動を進める中で、LPGトラックの導入の意義について次のように説明してきました。
 「地球環境保全」となると頭ではなんとなくわかるが、 体で実感できない。
 しかし、 職場の作業・労働環境を改善するということであると、排ガスの臭いや黒煙、騒音、振動などをどのように削減するかということで、具体的な課題として理解ができる。
 実際に、配送センターでディーゼルトラックからLPGトラックへの転換が進むに従い、朝の排ガス公害が改善してきたという具体的な現場報告を受けた時、推進してきた者としても、活動の意義の理解が深まりました。
 そのような立場から見ると、今回の「地域環境」というジャンルは、むしろわたしたちが進めてきたことをわかりやすく評価していただいたという感想を持ちました。
 今日、 トヨタのハイブリッドカー『プリウス』 の広告などの影響もあり、一般ユーザーの環境にやさしい車両への関心は高まってきています。
具体的には、そのような車両の購入を望む消費者が増えているというアンケート結果も報道されています。
 電気自動車(EV) や天然ガス自動車 (CNG) ハイブリッドカー (HEV など) の普及も進んできています。
しかし、ここで問題なのは、環境庁が推進してきた『低公害車』は代替エネルギー車であることが条件となっていることです。
 それ自体は従来車両より排ガス性状が相対的にクリーンですが、現実的にディーゼル代替としては機能しきれない弱点を持っています。その理由として挙げられるのは、燃料がガソリンや軽油と比較して、携帯性に難があることです。そのため、ガソリン・軽油に勝る燃料はないとまで言われています。
 そのような中で、 LPG (液化石油ガス)は、40年前からタクシー燃料としてガソリン代替燃料として使用されてきました。そのために、ガソリンと同じ排ガス規制を受け、従来エネルギーとして低減を目指す燃料とされてきました。
 コープ低公害車開発㈱は、開発参加生協の要望を受け、現実的な低害化を目指す立場から、ディーゼル代替が可能な車両であって、現実的に低公害なLPGトラックを自動車メーカーと共同で開発し普及を図ってきました。
 今回、環境庁からこれまでの8年間の活動が評価され、「地域環境保全功労者」として表彰されたことは、これまでの活動が間違っていなかったこと。
 また、行政の進めてきた大気汚染防止および保全活動に対して、ユーザーの立場から積極的に改善を目指して提言してきたことが認められたものと受けとめました。
 今回の「受賞」 と「朝日新聞の人欄」に載ったことを誰よりも喜んでいただいたのは、全国の生協の組合員の皆さんでした。
 組合員さんたちが今まで行ってきた大気汚染測定活動の成果として自分たちのこととして喜んでいただきました。

 また、パートさんたちが切抜きを持って出勤してきました。
 元気が出ました。
 ありがとうございます。

2005年11月18日
車両低公害化推進のためのシンポジウム2005

「車両低公害推進のためのシンポジウム2005」
 
車両低公害化推進のためのシンポジウム2005 講演プログラム 

 開催日時:2005年11月18日(金) 10:00~17:00  懇親会 17:30~20:00 
 シンポジウム会場:ユウホール(横浜市港北区新横浜2-6-23 金子第2ビル2階) 
 懇親会会場:上記  同会場 
 シンポジウム参加費:9,000円  協賛会員・シンポジウム後援団体:7,000円 
 懇親会:2,000円 
 ●シンポジウム参加費には、昼食代・資料代を含みます。 
   
 講演の紹介 
 ①大気中微粒子の健康化学「ディーゼル排ガス胎仔期曝露の脳神経系及び生殖系への影響」 
 東京理化学大学薬学部 部長 武田 健 氏 
 ディーゼルエンジン排出ナノ粒子による健康被害について、マウスでの実験を通じて、排ガスを吸入した妊娠母マウスの胎仔の脳にナノ粒子が沈着することを究明したことの発表。 
   
 ②「LPG自動車の普及とCO2削減・高効率化実現のために」 
 伊藤忠エネクス株式会社 低公害エネルギー部長 古田洋二 氏 
 現在、資源エネルギー庁の調査研究事業であるCO2削減LPG車の高度化調査やDME+LPGの混焼実験、LPG容器輸出入に関わる調査などを行っており、その進行状況など最新情報を報告。 
   
 ③「クリーンディーゼルの将来技術」 
 株式会社いすゞ中央研究所 部長 西村輝一 氏 
 ディーゼルエンジン研究開発の第一人者。DME,GTLなどの代替燃料を含め、ディーゼルエンジンの研究開発の最前線を報告。 
   
 ④「中国におけるエネルギー問題と低公害車普及の活動」 
 中国・全国清潔汽車行動協調領導小組 王 乗剛 組長 
 中国汽車技術研究センター顧問、精華大学教授 
 中国のクリーン自動車の指導的立場で活躍されている。中国でのクリーン自動車の普及方策について最新情報を講演。 
   
 ⑤「中国における車両低公害化の研究最前線」  
  DME都市バスの国家的なプロジェクトにおける最新の進歩 
  中国の自動車エネルギーの現状、対策と今後の発展 
  中国の自動車用燃料品質の要求、現状及び対策の分析 
 上海交通大学・機械工学部/燃焼環境技術センター 黄 震 教授 
 中国での車両低公害化の第一人者である黄先生の最新の中国での研究開発状況を報告。 
   
 ④「韓国の自動車産業-低公害車の普及-」 
 韓国・仁荷(インハ)大学機械工学部 李 大燁 教授 
 韓国自動車工学低公害車・代替燃料自動車研究の第一人者。韓国における低公害車について最新情報および研究成果を報告。 
   
 ⑥「コープ低公害車開発㈱15年の活動と今後の課題」 
 コープ低公害車開発株式会社 代表取締役専務 若狭 良治 
 電気トラックの開発からLPG、DMEの研究にいたる成果と今後の課題。低公害車とは何か?自動車排ガスの究極の改善課題は何か?15年の活動を総括し、今後の展望の報告。

2005「クレーン付DMEトラック」と「川崎DMEステーション」の説明会・式典次第

人ひと
「低公害車」を普及促進 ―若狭 良治

生協に低公害車約5,500台(転換率約35%)を普及促進したコープ低公害車開発がこの3月に16年の幕を閉じる。
普及促進を担ってきた同社若狭良治氏(代表取締役専務)は「まだやり残した事も多々ありますが、ともかく、この16年で一定の成果を挙げることができました」と振り返る。
普及促進は、一人の力ではなし得ない活動。
それを支え続けたのは、同氏の真摯な姿勢と、めげることのない一途な性格。
専門的に知識を得ないと理解が深められない車の内燃機関や構造。
今では、専門家と真っ正面から議論するほどの横溢した知識が詰まっている。
その中で、LPGエンジンの共同改良開発、インフラ整備、環境負荷軽減のためのセミナーなどを開催実践的な啓発活動は、生協のみならず、行政も動かしてきた。
民間配送業者のLPG車採用の原動力ともなった。
「環境負荷啓発は、地味で地道な活動 成果を挙げるには持続的に活動を推進していかなければなりません。
コープ低公害車開発は3月16年の幕を閉じますが、生協の中で積極的に評価されたなら幸甚です」
柔和な表情の中に一瞬、寂塞感を漂わせたが、豪放磊落な笑いで、その隙をかき消した。
今後は、持続的な環境社会の創出から「環境にやさしい次世代燃料「DME」使用の自動車研究開発と普及」などを推進していく。62歳。
1996年 神奈川県・かながわ地球環境賞受賞。
1998年 環境庁・地域環境保全功労賞受賞。

2006年2月20日 (月) 第302号 生協流通新聞

2006年3月30日付で、生協組織を卒業しました。
札幌市のNERC本社に籍を移し、埼玉県さいたま市に事務所を設置
DME自動車普及推進委員会の発足(2006年3月21日発足)
事務局長に就任しました

2006年3月21日 DME 自動車の導入・普及を目指す任意団体として、民間 17 社参加による「DME自動車普及推進委員会」を設立。自動車部会、燃料部会、インフラ部会の活動を開始。

「足元を見ながら新技術に挑戦」
若狭良治さん 62歳(さいたま市桜区)
 DME(ジメチルエーテル)は、天然ガスや石炭のほか、バイオマス(生物資源)や産業廃棄物などからも生成できる。
 二酸化炭素や窒素酸化物の排出畳が少ないとされ、低公害な点も注目されている新エネルギーだ。
 今年4月、民間プロジェクト組織「DME自動車普及推進委員会」の事務局長を引き受け、さいたま市浦和区に事務所を設けた。
 自然エネルギー研究センター「NERC(ネルク)」(本社・札幌市)の東京支所を兼ねる。
「NERCは学生時代の友人が始めた企業。『看板を貸してほしい。自分で稼ぐから』と頼んで支所長となりました」と苦笑する。
 委員会は自動車部品メーカーや燃料製造企業、商社など門社で組織され、「自動車」「燃料」「インフラ」の3部会を持つ。
 まずは「黒煙が出ないなどの優れた燃料としての特性」を踏まえ、排ガス規制が段階的に厳しくなるディーゼルエンジンへの実用化を目指す。
事務局は、企業が行う共同研究などのプロジェクトにおいて、重要な調整役などを担っている。
 中国・ハルビン市生まれ。北海道大農学部を卒業後、日本生活協同組合連合会の北海道支所に就職。「はじめはイカやアスパラなどを求めて北海道内を走り回った。
 東京の本部に異動後、冷凍魚の担当になり、お魚の本を出した」と振り返る。
 コープかながわ(横浜市)に移った1991年、生協の関連企業「コープ電動車両開発」(1994年にコープ低公害車開発に社名変更)に出向し、電気トラックの研究開発を任された。
後に自動車メーカーと、液化石油ガス(LPG)トラックの試作に挑んだ。
その結果、全国の各生協が保有する配送トラックのうち約35%がLPGに転換されるなど、一定の役割を果たしたとして、同社は今年3月に閉鎖された。
 自身も、「大学1年から42年間世話になった」という生協を「卒業」した。
 DMEの実用化に向けては、幾つも壁が立ちはだかる。
 「まだ普及に必要なDME自動車の法的な構造基準がない。補充スタンドの整備も必要。現実の足元をしっかり見ながら挑戦し続けたい」と決意を語った。(新井勝)
「夢を抱きつつ現実を直視して仕事を進めたい」と意欲語る若狭さん

2006年(平成18年) 10 月17日(火曜日)  読売新聞
【彩の人】 「次世代燃料DMEを使う自動車の普及に取り組む」

DME(ジメチルエーテル)の活動を本格的に開始

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2009年(平成21年)9月30日 (水曜日)
The Nikkan Jidosha Shimbun 日刊自動車新聞


DME自動車普及推進委を表彰
 IDAが第6回アジアDME会議で日本でDME(ジメチルエテル) 自動車導入・普及の研究を続ける「DME自動車普及推進委員会」が、9月17~18日に韓国・ソウルで開かれた第6回アジアDME会議国際DME協会 (IDA)から表彰を受けた=写真。
 昨年のアジアDME会議では中国のENNグループ(新奥集団)が表彰を受けた。
 DME自動車普及推進委員会は、日本におけるDME自動車開発と普及のためのインフラ関連の技術開発に取り組んでおり、欧州委員会からの視察団を受け入れるなどで、その成果を公表している。
 DMEの自動車への応用研究で世界の最先端であり、これらの活動が評価されたと見られ同委員会の代表者は会議の授賞式で、「DME自動車を普及させようとしている民間団体の努力に対して与えられたものだと受け止めている。正直なところ、政府の援助と十分な資金の無い状態で、民間団体によってDME自動車を普及させる行動を起こすことは大変に難しい。この行動は小さな一歩であるかもしれないが、この行動無くして、DME普及を進めることも同一様に大変に難しいことだ」などと謝辞を述べた。

2006年(平成18年) 10 月17日(火曜日)  読売新聞
【彩の人】 「次世代燃料DMEを使う自動車の普及に取り組む」

「夢を抱きつつ現実を直視して仕事を進めたい」と意欲語る若狭さん

2009年1月3日 朝日新聞
縦割り打破!エコトラック業界を束ねて低公害車を開発
若狭 良治さん (65)


 天然ガスや石炭からするジメチルエーテル(DME)という燃料がある。
 これをトラックの次世代燃料にしようと取り組んで10年目になる。
 ディーゼルエンジンに使う軽油に比べ二酸化炭素の排出は少なく、ぜんそくの原因の粒子状物質は極めて少ない。
 環境保護に最適な低公害車は何かを、何か、と考えた結論がこれだ。
 一直線にDMEにたどり着いたわけではない。
 まず試みたのは電気だ。
 日本生活協同組合連合会に勤めていた私が加盟生協に頼まれ、小型電気トラックを開発する小さな会社に移ったのは1991年。
 メーカー共同開発したが、1回の充電で走れる距離はわずか50キロで、2千万円もした。実用には向かない。
 そんな頃、トヨタ自動車が液化石油ガス(LPG)を燃料にしたごみ収集車を作ろうとしていることを知った。
 LPGは粒子状物質を出さないし、すでにタンシーにも使われていて、開発は難しくない。小型トラックの共同開発を持ちかけた。
 完成車を見て、加盟生協の中には「電気トラックには夢があったが、LPGでは」と採用を渋るところもあった。
 だが、大切なのは 「実用的」なこと。約7千台を導入した。
 ただLPGはガソリンエンジンを使うので、中型より大きなトラクには向かない。
 研究者を回り、行き着ついたのが、スプレーの噴射剤などに使うDMEだ。
 業界は「補給所の設備が大変だ」などと否定的だった。
 2001年、人脈をたどり、産業技術総合研究所や伊藤忠商事、岩谷産業などに打診してみた。
すると、各社ともDMEに意欲的であった。
 翌年に部長や課長クラスを中心にしたグループができた。
 試作には億単位の金がかかる。親しい大学教授らに協力してもらい、国の補助金を申請した。
支給されるまでは生協から2億円を借りてしのいだ。
 2003年 いすず中央研究所の協力で4トン積み中型トラックの試作車が完成した。
 同じ補助金で、新潟市などにDMEの補給所が4カ所できた。
 試作車は立派に走った。
 燃費や耐久性試験などを続けるうちにようやく昨年、国が動いた。
 国土交通省の公募事業にいすゞ中央研究所が手をあげ、新潟県首都圏で2台のトラックの耐久実験が始まった。
 実用化への大きな一歩だ。
 今年2月には、 木材からつくったバイオDME燃料をDMEに混ぜ、走行実験をする。
 木材を利用することで、さらに二酸化炭素の排出が減らせる。
 燃料は経済産業省、自動車交通は国土交通省と、縦割り行政の弊害から、一緒にDME車を普及しようという意欲が乏しく、それが影を落としていた。
 こんな無味なことはない。
 共同開発したグループは2006年、豊田通商なども加わり「DME自動車普及促進委員会」に発展した。
 私は事務局長を務めている。
 それぞれの企業や研究所が協力し、お金を出し合い、風通しをよくして、目標に向かう。
 我々の役割はそこにある。
(聞き手・杉本裕明)

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日本のエネルギーや利用技術はどうなるのだろうか?

 2014年、物流ニッポンの記者に頼まれて、昔話を書いたもの。

 私にとっては、1991年から2014年の間、電気トラック、LPガストラック、DMEトラックおよびDME燃料生産と普及の活動を最後に自動車の低公害化の取組みをしてきたが、15年間の活動に終止符を打ち、並行して進めてきた飼料用米の普及活動へ全面的にシフトをした時である。

 なんで、今更私なのかと問うと、基本的に若狹さんの提起した課題はまだまだ未達成だし、特に物流を担う分野はまだまだ未完成。
 若狹さんのやってきた分野の活動は必要だと感じるからだと言う。

 正直、私が目指す活動の分野は、日本はそれなりに取組への手付けは早いが、そこからは韓国や中国の方が確実に速いし実績の上がっている。
 それに対して日本の国の政府や企業は根本的なところで芯が無いように感じるのは私だけではないように思うのである。

 コロナ禍とウクライナ侵攻、世界的な気候変動(大飢饉と大水害)などで食料自給率を向上させないといけない側面でやっていることは、十年一昔の時代の旧態依然な情報収集と将来の設計機能。
 このままでは、日本は、工業面でも農業面でも後れを取ってしまうのではないかと心配している昨今である。
 そんな想いと立場で書いたストーリーである。
 それから3年後に同じ様なことで再び文書を書いて欲しいと頼まれたが、正直、横目で見てきただけの立場で新しい文書を書くことはできなかった。
 2022年現在、1991年から31年が過ぎた。
 トヨタが系列化した日野自動車の不正行為に対して制裁を科したという話。
 エンジンを作れない弱さから電気自動車へ邁進しているアメリカと中国の企業が電気自動車でリーダーとなっていると昨今。

 はたして日本はどうなるのであろうか?

新たなトラック燃料の可能性 (上)・下
有志生協が株式会社創設

    未来舎副理事長 若狭 良治
    物流ニッポン 2014年10月23日(木)


 この二十数年間、電気トラック、液化石油(LP)ガストラック、DME(ジメチルエーテル) トラックの研究開発や普及活動に従事したことを本紙の記者と話したことが縁で、寄稿を頼まれた。
 考えてみると、研究開発の推進や事務局の仕事に忙殺され、それらをまとめるゆとりが無かった。
 実際に進行中の業務に関係する話を、その中に書くのは難しい。
ノウハウやスキルを開放することにもなるからである。
 そういう意味では、トラック関連の仕事を離れた現在、今日的な視点でトラックや燃料の問題に言及するのは時宜を得ている、と若干の提言でも書ければと思い、筆を起こす。

 私は長年(4~6歳)「車両の低公害化」への取り組みに携わってきたが、最近の若い運転者は「低公害化」の意味をよく理解できないのではないかと思う。
 それほど近年の車両は、排出ガスや騒音、振動の問題が改善されている。
 経済成長やバブル景気など世の中が騒がしかった!
 1980年代は、国民の環境問題に対する問題意識もそれほど高くない時期で、環境規制とはほとんど無縁なディーゼル軍が、大型トラックやバスのみならず、ワンボックスカーから小型の乗用車に至るまで幅広く普及し、大半の車両が真っ黒黒煙を排出していた。
 車両の排出管からは、黒煙が結晶化した綿ゴミのようなものが垂れ下がっていたのを記憶する。
 黒煙を排出していたのはガソリン小型トラックも同じ、運送事業者の配送センターは、排出ガスで真っ黒となり、悪臭が染みついていた。
 従業員にとって、決して健康的な職場ではなかった。
 車両の環境性能が増してきたとは言うものの、現在でも大型トラックが横に来ると、まだまだうるさい。
 長期間使用している大型トラックやバスが通り過ぎた後、不快な排出ガスの臭いに顔をしかめることもある。
 本稿では、20年余りにわたる経験を基に、新たなトラック燃料の可能性を提示したいと考えている。
これに当たり、構成を次のように設定した。
(1)1990?1996年=生活協同組合における電気トラック
(2)1996?2006=生協におけるLPガストラック
(3)2002~2006年=生協及び企業のDMEトラック
(4)2006~2013年=企業のDMEトラック
(5)現在の課と未来予測
◎ ◎ ◎
 これらの研究開発と普及への取り組みについて、成功体験と失敗体験を織り交ぜながら、時系列で振り返る。
 また、最近は燃料電池自動車が大きな話題を集めている。
 水しか排出しない低公害性をはじめ、静粛性、水素の充てん時間の短さ、1回の充てんで走行できる距離の長さ (600~800キロ) が、にわかに注目されている。
私が 所有する土地(さいたま市)に隣接する東京ガスの敷地に現在、燃料電池自動車の水素ステーションを建設する計画が持ち上がっている。
 この件で、近隣の住民や行政、東京ガスと議論する機会があったことから、水素燃料と燃料電池自動車に関しても後に触れる。
 その上で、現実的かつ今日的な燃料を提言できれば幸いである。


電気トラックの研究開発
(1)1990~1996年=生協における電気トラックの研究開発と普及の取り組み

 46歳だった1991年、それまでの仕事と全く異なる電気トラックの研究開発・普及を目的とする組織に転身した。
 電気トラック、LPガストラック、DMEトラックというように、その後の20年余りにわたって低公害自動車の普及に携わる出発点となったのだが、当時はもちろん知る由もない。
 大学は北海道大学農学部畜産学科で、卒論テーマは「低温歯の早期発見簡便法の検証」。
 在学中に生協活動をしていたこともあり、卒業後は日本生活協同組合連合会の北海道支所に勤め、5年後に東京事業本部に転勤となった。商品企画開発などのセクションを経て、経営指導担当を歴任。
45歳で中央地連の事務局次長(組織課長)に就いた。
 環境問題に関心が高まり始めていた時期で、神奈川の生協を中心に電気トラックの研究開発をしているという話を聞いた。
 ぜひとも手伝って欲しいーという依頼に応じ、その翌年にコープかながわに移籍すると同時に、傘下のコープ電動車両開発株式会社に席を置くことになった。
 コープ電動車両開発は全国の有志生協が出資して創設され、いすゞ自動車と電気トラックの共同開発を目指していた。
 1990年代の初頭は、環境問題や排出ガス公害への対応で、スズキやダイハツ工業、トヨタ自動車が電気自動車を試作し、販売を開始していた時期に当たる。
 生協の取り組みもマスコミで大々的に取り上げられたものである。

しかし、当時のいすゞ自動車は電気自動車の技術基盤をほとんど失っており、第1号の試作車は、2、3トン積載のエルフを米国に輸送し、シカゴ市のベンチャー企業(ソレック) に改造を委託した。電池は密閉式のドイツ製鉛酸蓄電池を採用し、コントローラーはトランジスター500個から成る手作り。
モーターは米ゼネラル・エレクトリックの直流分巻モーターと、本体の車両以外は全て外国製品だった。
価格は1両4500万円にも上り、いすゞ自動車と費用を折半して作った。
ホテルでの華々しいお披露目も行うなど、電気トラックに懸ける当時の並々ならぬ意気込みを理解していただけるだろう。
1991年には日本電池(現GSユアサ)が開発した鉛酸電池(非密閉式)を使い、試作車第2号を製作した。
いすゞ自動車は、富士通と電子部品の研究開発会社を創設し、コントローラーの研究開発をスタート。
1992年から1993年くらいにかけて手掛けた第2次試作車には、国産のコントローラーを搭載した。
特注のニッケルカドミウム電池も使用し、走行実証テストを実施したものの、残念ながら、ニッケルカドミウム電池は実用的ではなかった。(充電量は2倍程度になったが、走行した後、ニッカド電池が発熱し、冷却するために翌日は走行できない言う事態が判明した。)
結局、ドイツ製の密閉式鉛酸蓄電池に舞い戻った。
その後、いすゞ自動車がコントローラーの改善などを図り、プロジェクトは第3次試作車まで突き進んでいく。
◎ ◎ ◎
 1993年に、二つの生協(東都生協とジョイコープ)が東京都から助成金を得て、1両3300万円(補助金50%)で試作車を購入。
 1999年には、コープとうきょうが3200万円(同)で導入した。当初は、24の電気トラックを2000年に2000輌普及させる計画(コープEV2000)だったが、電気トラックの実用化に向けたプロジェクトは中止せざるを得なくなった。
 理由は、「ディーゼルトラックとの価格差が11倍と埋めがたいレベルだった」の一言に尽きる。
 走行距離1キロ当たりの燃料費も、ガソリントラックが電気トラックの55%、ディーゼルトラックに至っては27%と圧倒的な開きがあった。
 要は、導入・運用コストの問題である。
 現在も、電気トラックの実用化は道のりが遠く険しい―と言わざるを得ないが軽油トラックを電気トラックに切り替える状況にはまだまだ時間が必要―という結論に達し、今すぐに転換が可能なLPガストラックの導入に方針を変更した。


LPガスに方針を変更
(2)1993~2006年=生におけるLPガストラックの研究開発と普の取り組み

 1992年に欧州(スイス、フランス、ドイツ)の電気自動車の普及事情を視察したのを機に、生協の車両担当者による全国車両担当者低公害化検討会議を立ち上げ、電気トラックの普及に向けて車両の使用実態調査を行った。
 判明したのが、全国の生協で1万5千両程度の小型トラックが使用され、平均積量が1.25㌧、走行距離は1日300㌔以下―ということである。
こ の結果を基に、電気トラックの目標性能を大幅に低滅可能と判断。
 トヨタ自動車にタウンエースバン電気自動車の小型トラック版の開発について相談したところ、「トラックは運んで幾らの世界。乗用車とは違う」と言われ、逆提案されたのがLPガストラックだった。
 トヨタ自動車は当時、東京都と積載2㌧クラス (2700cc) のLPガス清掃自動車(パッカー)を開発しているさなかだった。
 各生協の担当者と検討した結果、1・5㌧檀載(2000C)で、オートマチック仕様の小型ガストラックを開発することで一致。
 トヨタ自動車と共同開発した試作車が3年11月に完成し、1994年6月から購入を開始した。

 コープ電動車両開発の定款を「電気および低公害車」に変え、社名もコープ低公害車開発株式会社に改称した。

 1998年にコープ低公害車開発株式会社の今後のあり方について検討を行いました。
 1989年に「コープ電動車両開発株式会社」として発足、しかし、電気トラックの研究開発を進めたが、現実問題として実際に使用している生協の配達トラックとして、ディーゼルやガソリンで稼働している状況から電気トラックへの移行は大変難しいとの認識のから、より現実的に生協で働く配達する職員やパートさん、配達先の組合員さんの健康環境を改善を果たすことが何よりも優先するという立場から、神奈川県環境研究センターと共同で行ったディーゼル・ガソリン・LPガスの3種の排ガス性状や燃料効率などから一番良いと判断されたLPガスを燃料とするトラックの研究、性能向上へシフトし、定款を電気および低公害な車両研究開発とし、会社名称を「コープ低公害車開発株式会社」と変更した。

 結果的には、2000年に1・5、積載のLPガストラック2850台を全国の生協に導入(2000台超の達成は1999年6月)した。
 コープ低公害車開発は2006年の会社閉鎖までに、累計(廃車も含めて)で7000台以上、生協の現有車両数としては配送車両の35%(5500台)をLPガストラックに転換。
 大きな成果を収めることができたと自負している。

 LPガストラックの導入は、順調に推移したとはいえ、現場からの不満や要望も聞こえてくるようになった。
 その一つは、車種の不足である。
 山岳地帯や積雪地帯を走行できる4WD車、あるいは2トンクラスや大型。
 更には、現行車両のパワー向上、スタンド不足への対応―。
 そこで、エンジン性能の向上(燃料噴射システムの導入研究)や4WD車の開発、大型車(トラック、バス)の研究開発と試行に加え、LPガススタンドの設置も推進した。
 ただ、大型化は具体的な成果に結びつけられなかった。

◎ ◎ ◎

 さて、生協時代の後輩から盛んに言われるのが、「LPガススタンドの減少と生協におけるLPガストラックの減少している」―ということである。
 一時は2千カ所程度をLPガススタンドも減っている。それでも圧縮天然ガス(CNG)スタンドより多いが、残念ながら、LPガス自動車が大量普及する芽は消滅している。
 起死回生の妙案が必要だと思う。
 LPガス自動車は元々、タクシー会社が独自に開発普及させてきた。
 それだけに、LPガススタンドの設事業者は、LPガスが一戦車に大量普及して燃料が不足したり税金が高くなったりするなど、タクシー会社に迷惑を掛けてはいけないと判断。
 一般車への普及に扉を閉ざしてしまった(利用は可能)。
 LPガスの国内供給量のピークは1992年度の1981万㌧。それが2012年度には1673万㌧と300万㌧も減っている。
 LPガス自動車の台数も減少の一途をたどり、最大時の30万台超が、22年度は2万9647台と融滅。 LPガスの供給減少分は、LPガス自動車6万台分の燃料に相当する。
 これはあくまでタクシーを基準にした数字なので、一般車をベースにすると20万~300万台は十分計算になる。一概には言えないが、LPガス自動車の普及をLPガス業界が必死に推進していたら、大きなマーケットが形成されていたのは間違いない。


DME実用化をめざす

(3)2002~2006年=生協及び企業のDMEトラックの研究開発と普及の取り組み

 次のステージでは、大型車両を低公害化する取り組みの一環として、GTL軽油(天然ガスなどのガス体を液状物翻に合成する)の検討に入った。
 GTL軽油は普通の軽油よりも複雑な分子形態が少なく、燃焼性に優れる上にセタン価 (着火性)が高い。
 燃焼の効率が良く黒煙の発生も少ないため、軽油をGTL軽油に代替することは低公害化に直結する。
GTL軽油の環境性に着目した4者(昭和シェル石油、シェルインターナショナルガス、三菱商事、首都圏コーブ事業連合)は、コープ低公害車開発と産業技術総合研究所の支援により、日本初の実走行試験を7カ月にわたって実施した。
 しかしながら、石油メジャーなどが製品化を試みたものの、高コストがネックとなり、今も実用化には至っていない。


GTI軽油と並行して実用化を目指したのがDMEである。

 コーブ低公害車開発が全体を統括し、DME自動車実用化研究開発グルーブを結成した。
 産業技術総合研究所、三菱ガス化学、日本鋼管(現JFE)、伊藤忠商事、岩谷産業、伊藤忠エネクスなどが参加し、車両開発、燃料供給、市場調査などで連携。更に、いすゞ自動車、ボッシュジャパン、中央機機などが協力企業として加わった。
 そして、石油公団との共同研究を目的に中大型DME自動車の実用化研究開発プロジェクトを発足させ、2005年の新長期規制を視野に入れた試作串の完成も計画に策定。
 DME中型トラック、DME給油システム搭鮫ローリー、DME簡易給油スタンド(つくば市、横浜市、新潟市、川崎市)、クレーン付きDMEトラックなどを完成させ、実証テストも行った。
 新潟運輸も長期の実証運転を行ったところ、運転者の評判は上々であったという。


問題はコストである。
 そこで、DME自動車は実用性を重視して、使用過程車を改造することにした。
改造費用は量産段階で50万円以下に設定したが、残念ながら、ハードルは高かった。
そして、根本的には、DME燃料の生産体制が国内で整っていない―という壁が立ち塞がったのである。
新たなトラック燃料の可能性 上・(下)
燃料電池車、大型に適す燃料とは?


  未来舎副理事長 若狭 良治
  物流ニッポン 2014年10月23日(木)

(4)2006~2013年 企業のDME (ジメチルエーテル) トラックの研究開発と普及の取り組み

 生活協同組合の車両の35%を液化石油(LP)ガストラックに転換したことをもち、コープ公公害車開発は独自の研究開発活動を中止することになった。
 最大の理由は、私が定年退職の62歳を迎えたことである。
 生協内においても特殊な職場で、かつ後継者の育成が困難なこともあり、清算人として会社を整理した。
 先述したDME自動車実用化研究開発グループのメンバーから、新しいDMEグループ(DME自動車普及推進委員会=現日本DME協会)の事務局を引き受けて欲しい―との要請があり、今後はDMEの普及に的を絞ることになった。
 天然ガスなどを原料に合成するDMEは、二酸化炭素(CO2)の排出削減をはじめ、粒子状物質(PM)、硫黄酸化物(SOx)、窒素酸化物(NOx) といった大気汚染物を大幅に削減する効果が期待できることから、軽油代替燃料として大きく注目された。
 DMEは、燃焼の際に黒煙を出さないという特性を持つ。
 セタン価(着火性)が軽油よりも高い上、常温では気体なので低温流動性が高く高地での運転が可能なディーゼル燃料である。
 しかも、DPF(デイーゼル排気微粒子除去装置)の装着が必要ない。
 バイオマスや廃プラスチック、天然ガス 石炭ガスなど、複数原料で精製が可能なため、マルチソース・クリーン燃料とも表される。


燃料とエンジンの関係を示すと【図1】のようになる。

 問題は、運用する資金が、当初、コープかながわとコープしずおかが用意したものだったが、その資金が枯渇する状況となり、その資金調達をどうするべきかということから、継続するのか、会社を閉鎖するのか、継続する際は、参加している生協の資金負担はどうするのかなどを議論し、コープ低公害車の果たした成果と今後の課題などについて検討委員会を設置して議論を行いました

コープ低公害車開発、LPガストラック導入2000台達成
1999/06/25 化学工業日報

 全国の生協に低公害車のLPガストラック(1・5トン前後クラス、共同購入用配送車両)を導入しているコープ低公害車開発(本社・横浜市、馬場昭夫社長)は、6月17日時点で導入台数が2000台に達したと発表した。
 第1号を1994年7月にえひめコープに導入してから約5年で達成したことになる。対象台数はおよそ1万4千台あるが、これで転換率は14・3%になったとしている。

加賀美 太記(かがみ たいき)(京都大学大学院経済学研究科博士後期課程、「協う」編集委員)のレポート「協う」第122号から引用

 LPGトラックの開発・普及は一見すると順調に進んだかのように見える。
 しかし、普及には様々な困難が伴った。
 たとえば、荷物を積んで坂道を走る配送トラックに必要なパワーが本当に得られるのかといった点が、生協の車両担当者の不安の種となっていた。
 そのため、担当者を集めた生協車両低害化実務担当者会議を開催した。
 若狭氏によれば、この担当者会議の果たした役割は大きく、全国各地の独自な課題を車両開発に反映させることができただけでなく、担当者が車両開発に関わることを通じてLPGトラックの意義を学び取り、積極的に各地の生協へ意義を伝えていってくれたという。
 それだけではなく、実際に配送ルートを走らせるなどのテスト・デモ走行を全国各地でおこなった。
 1993年11月に完成したLPGトラックの試験車のテスト走行だけでなく、開発当初のトヨタから、三菱、マツダ、いすゞとメーカーを増やしながら、併せて全国キャラバンでLPGトラックのデモ走行をおこなうなど、低公害車への理解を深めてもらう取り組みを進めたのである。
 組合員への普及を目的とした取り組み
 職員だけではなく、 組合員の理解を得ることも同社では忘れていなかった。
 会員制組織でもある生協は、学習する組合員という強みを持つものの、反面一つ一つの活動について組合員の理解を得ていくことが不可欠である。
 そのため、若狭氏らは全国各地を飛び回って低公害車についての学習会を組織するなど、組合員を対象とした低公害車の学習活動、セミナーの開催に取り組んだという。
 生協が低公害車導入の検討を始めた1990年代初頭は、温暖化などの環境問題についての社会的な関心はそれ程高かったわけではない。
 当時の問題は大気汚染などの公害であり、それも1980年代の各地の公害闘争の終結とともに関心が廃れつつある状況であった。
 そのため、 最初の反応は決して良いものではなかった。
 それでも、安全・安心を掲げる生協が排ガスをまき散らしながら事業を進めている現状への憤りや、ドライバーに代表される職場や地域の健康問題を何とかしたい、という思いを伝えるべく活動を続けていった。その結果、徐々に組合員の理解を得ることができたという。
 そのような理解ある組合員の声がLPGトラックの普及を後押ししてくれたのである。

社会的事業者としての生協の役割
 コープ低公害車開発株式会社と、それを構成する生協の担当者や組合員を中心とした積極的な取り組みによって、生協は配送トラックの低公害化という社会的取り組みにおいて一歩先を行くこととなった。

【図1】

最前列 右から2人目から
 大坪(豊田通商)後藤(産総研)Dr. Cho(韓国ガス公社)西村(いすず中研)若狹(DME委員会)

DME利用、北米で進む

 当時の活動の中心は、 DME充填スタンド設置基準の規定整備や、 DME自動車構造取扱規準の整備。
先に触れた新潟運輪の実証走行もサポートした。
 その他の主なを挙げると、2007年12月に中国の上海で日中DME自動車普及推進シンポジウムを共催したほか、2010年5月にはバイオDME燃料による日本初のトラック走行テスト発表会を企画した。

2012年3月には、「DMEスタンド及びDME自動車燃料装置用容器の技術案(例示規準関係)」を作成。
更に同年は、4月に「DME自動車技術基準案」を国土交通省に、5月には「DMEスタンド及びDME自動車燃料装置用容器の技術基準案(例示規準関係)」を経済産業省に、それぞれ提出した。
そもそもDMEはGTL軽油(天然ガスなどのガス体を液状物質に合成する)よりも低性と有用性のいずれも高い―との判断に基づき、LPガス自動車の大型化を目指した時に、DMEトラックの研究開発や普及推進に着手した。
 
 しかし、DMEの国内生産は化学工業製品が主な用途で、燃料の市場規模は非常に限定される。
 一方、世界に目を転じると、状況は大きく異なる。
 北米でシェールガスが発見されたからである。
 シェールガスの商業化を機に、特に北米でDMEの利用が進もうとしている。
 スウェーデンのボルボが2013年6月、DMEトラックを2015年に北米で販売する―と発表した。
オーベル燃料も、2015年からDMEの生産を開始することを明らかにしている。
日本も比較的安価に大量輸入できれば、DME自動車の普及が大きく前進する可能性はある。
 いずれにせよ、我が国は、海外の動向を先進技術で支援し、日本への燃料輸入を目指す―というのが現実的なスタンスである。
ナノ粒子の被害深刻

(5)現在の課題と未来予測

政府のエネルギー政策を一概に批判するつもりはないが、現時点よりも1年はど前に集約された過去5年間の実績をベースに、実質的には6年後を予測するという手法がよく取られる。
「2年一昔」は違い過去の形容で、現在は1年で様変る時代である。
未来予測は、過去1、2年程度の数字を基に、直近数カ月の動きを加味しないと、年後すら予測はできない。
エネルギーは、持つ者と持たざる者の差が非常に大きい。日本の周辺海域に存在すると言われる大量のメる声がある。
オホーツク神、十勝・日高沖、四国神などに分布し、東京ドーム600万杯千億立方ンガスが日本近海に眠っているとは国内の天然ガス需要の100年分以上に相当するそうだ。
これを低コストで採取できる技術を開発すれば、エネルギー輸出大国も夢ではないかも知れない。
しかしながら、現実は「レバタラ」の域を出ない。
それでも、大きな期待を抱きたくなるほど、日本は使いやすいエネルギーが不足している。
ほぼ100%を輸に頼る石炭、原油、 天然ガス(LNG)から、電力や石油製品(軽油やガソリンなどの燃料も含む)が生産される。私個人は軽油代替燃料として、また大型トラックの燃料として、電気、LPガス、DMEなどを追究してきたが、国では圧縮天然ガス (CNG)バイオディーゼル(主に、てんぷら廃油のメタノールエステル)、純粋メタノール、ガソリン混合メタノールなどを推進してきた。
しかし、メタノールは今や影も形も無い。
てんぷら廃油は低温での流動性が悪く、更に、噴射バルブの目詰まりなどの問題もあり、利用が進んでいない。
南方諸国のパーム油の利用を目指す動きもあったが、事業化のメドが付かずに立ち消えた。
結局は、軽油を利用するディーゼルエンジンの改良を積み重ね、排ガス規制を方が、依然として我が国における車両低公害化の主流である。


◎ ◎ ◎
 微小粒子状物質「PM2・5」問題がマスコミを敷かせたのは記憶に新しい。
 指摘したいのは、PM2.5 問題を正しく伝える報道が少ないことだ。
 大気汚染の元凶であるPMは、大気中に漂う浮遊粒子状物質で、大きさは10ミクロン以下のものである。
 日本人も長く悩まされてきた、ぜん息や気管支炎などの原因となる。PM2・5は、もっと小さな微粒子で、肺の深奥に入り込み、多くの肺疾患を生む。
 更に深刻なのは、より微細な物質(ナノ粒子)である。
 図2は、環境省の「ディーゼル排気の特性 2002年3月5日 ディーゼル排気粒子リスク評価検討会」に掲載されている大気中の浮遊粒子状物質の粒径(大きさ) 分布図である。
 出典は、アメリカのDr.Kittelson(1998)。
 この図では、PM10やM2.5が右の方に位置していることに注目したい。
 右に行くほど粒径は大きく、左へ行くに従い測定不能な程まで細かくなる。
 自然微粒子には砂塵(さじん)などがあるが、そのほとんどはPM3以上である。
 肺呼吸する哺類などの動物(人間を含む)は、FM3以上の物質が肺に入るのを阻止する防御機能を備える。
 それでも大量に浸入した場合は、珪肺(けいはい)などの病気を発症する。
 つまり、自然界にはPM3以下の物は少ない。
 ところが、自動車メーカーなどは、排出ガス規制が厳しくなるにつれ、燃料の粒子化と高圧噴射で発生するPMの粒子を小さく視認されにくくすることで規制をクリアしてきた。
 問題は、このPM2.5よりも小さなナノ粒子と呼ばれる100ナノミリ前後の物質の健康被害が深刻なことである。
 妊娠初期の妊婦が肺から取り込む排気微粒子が、胎児の前頭葉に取り込まれ、脳細胞を破壊する――という研究結果もある。
 DMEは、超微粒子が少ないのが利点なのだが、インフラの整備は、はかどっていない。
 ならば、これからは水素燃料だと短絡視するのではなく、再び増加傾向にあるディーゼル車や噴式ガソリンエンジン軍への対策を講じるのが、まず先決だろう。


インフラの有無カギ

 新燃料が普及するためのカギは、供給サイドから見ると採算ベースに乗るか否か―である。
 一方、ユーザーはコストや利便性でしなければ見向きはしない。
 既存燃料のガソリンと軽油は、スタンドが全国に存在し、たとえ価しても、平時ならばトラックを動かせる。インフラの有無が燃料消費とイコールなのは繰り返すまでもない。
東日本大災の際、全国のスタンドで軽油やガソリンが不足し、日常生活に影響が及んだことがあった。
燃料を一斉に満タンにしたのが不足の原因だが、よくよく調べてみると、日常的にはほとんど動かしていない自家用車などもスタンドに殺到したために招いた事態だった。
このケースは、運送の緊急車両には証明書を発行し、災害時は一般の給油を制限すれば解決わけである。

◎ ◎ ◎
 さいたま市と水素ステーションの設置問題で懇談した際、先方の担当者は東日本大震災で、ガソリンや軽油が不足したことを覚えているでしょうさいたま市のごみ収集車などはCNGが多くてかった」と発言した。
 LPガス自動車を導入しているタクシー業界も同様だったという。
 だから、水素を燃料とする燃料電池自動車を導入することにより、「災害時における混乱を回避できる。
従って、水素ステーションの設置が必要になる」と説明された。
 果たして、この論法は正しいのだろうか。
 先の震災でガソリンや軽油が不足したことを例示するならば、さいたま市が10日間ほどの軽油を備蓄しておくことで、問題の大半は解決する。
 ちなみにCNGスタンドは全国に260ヵ所程度。
 単純に車両台数をスタンド数で割ると、1ヵ所平均の利用は167台にとどまる。
 ガソリン・軽油のスタンドは1996年に5万9615ヵ所あったのが、2011年には3万7743ヵ所と大幅に減少している。
 それでも、1ヵ所当たりの利用台数は2040台である。
 自動車の普及にとって燃料インフラがいかに重要か―が見て取れる。


水素ステーション 設置が最優先

 最近における注目の話題は、「トヨタ自動点が燃料電池自動車を年内に販売」のニュースだろう。
 世の中では、2015年が燃料電池自動車の普及元年-という位置づけのようである。
 本紙の読者にとっては、販売価格が700万円で、200万~300万円の補助金が付くのであれば、トヨタ自動車のクラウンより安いということになり、個人あるいは会社所有の乗用にどうか、ということではなかろうか。
 「物流の業務とは無関係と受け止めているかも知れない。
 昔からある神話論争に「ニワトリが先か、卵が先か」があるが、「低公害車の普及は、スタンドが先か、白動が先か」も一貫して存在する議論の種である。
 ニワトリと卵の話は脇に置くとして、自動車が一般に広く普及するには、インフラの先行投が重要な のは当然である。
 燃料電池自動車もしかりで、水素ステーションの設置が最優先なのは明らかである。
 ただし
超高圧 (800 気圧以上)を扱う設備を構え、天然ガス(都市ガス)を高熱(セ氏300度以上)で改質する。
 炭酸ガスを一部地域に大量に排出するほか、排熱も 200度以上に達する。
 騒音や振動、 爆発時の対策など様々な課題もある。
 推進者である行政が、どれだけ真摯(しんし)に地域住民と話し合えるか―に普及の行方が懸かっている。
 では、燃料電動車は大型自動車に適すか否か。結論から言うと、適している。
 水素燃料を燃料電池で充填し、バッテリーに充電して作動させる。
 これは電気自動車(バッテリーで電気自動車)と基本的に同じである。
 燃料電池は水素と空気中の酸素があれば、白金を触媒に水を合成する際に電気を発生させる。
 発進時や加速時、高速走行時は、燃料電池だけではパワーが不足するため、蓄電池を搭載して電力を補う仕組みを採用している。
 従って、電気自動車に燃料電池と水素タンクを付加したのが燃料電池自動である。
 両者の大きな違いは、電気自動車が充電に時間を要す欠点があるのに対し、燃料電池自動車は水素の量を多くすることで走行距離が長くなる点にある。

 ただし、蓄電池には充電しておく必要がある。
 いずれにしても、積載部品が多くなるので、大型車両ほど適している。
 また、水素燃料は化石燃料は同等の価格体系が維持されることが重要で、今後の推移(本当に大量普及が実現するのか)を注視する必要があるだろう。

DMEトラック(8トン積載の中型トラック) 
DMEタンクローリー車
DMEクレーン車(8トン積載)
神奈川県に設置したDME充填スタンド

            

【図2】

DME自動車について
自動車用燃料としてのDMEの特徴

◆DMEは化学合成でつくられる
⇒石油代替。石炭、天然ガス、木質系バイオマスから製造可能。

◆セタン価が高い
⇒ディーゼルエンジンに適用可能。
◆含酸素燃料、炭素-炭素結合が無くスモークが排出されない
⇒DPF不要。低速トルクの向上が可能。
◆低潤滑性、低粘性、ゴム・樹脂に対する膨潤特性
⇒添加剤、シール構造、適切なシール材で対応可能。
◆硫黄含まない
⇒SOx発生無し
◆発熱量は軽油の約半分
⇒航続距離を軽油同等とするには2倍のタンク容量が必要。
◆20℃で蒸気圧0.53MPaの液化ガス
⇒LPGタンク流用可能、液体で搭載できる。
◆適用法令
高圧ガス保安法(可燃性ガス)
労働安全衛生法(施行令別表第一:危険物,可燃性ガス)

DME自動車
・ディーゼルエンジンを基本とし、燃料系統の変更で使用できる。
・排気後処理が簡素化でき、DPFが及び尿素触媒が不要となる。
・光化学スモッグ影響の炭化水素の排出がない。
・LPG用燃料タンクの転用が可能である。
・軽油代替のディーゼル燃焼が実現可能なクリーンエネルギー車である。

歴代DME自動車

いすゞ エルガミオ

いすゞ エルガミオ

2001年 (株)いすゞ中央研究所が開発 JEFスチール(株)内で構内バスとして走行

いすゞ エルフ

いすゞ エルフ

2002年 JEFホールディングス(株)が独自に開発し、国土交通大臣認定車第1号

三菱ふそう キャンター

三菱ふそう キャンター

2003年 (独)産業技術総合研究所、岩谷産業(株)などが開発 国土交通大臣認定車第2号

三菱ふそう ローザ

三菱ふそう ローザ

2003年 (独)産業技術総合研究所、岩谷産業(株)などが開発 国土交通大臣認定車第3号

いすゞ フォワード

いすゞ フォワード

2004年 DME自動車実用化研究開発グループが開発したGVW8トン中型タイプ
新潟-つくば-横浜間の長距離走行試験を実施 国土交通大臣認定車第4号 列型噴射 システム

いすゞ エルフ

いすゞ エルフ

2005年 (株)いすゞ中央研究所が開発
コモンレール噴射システム搭載のクレーン付DME中型トラック
国土交通省の大臣認定を取得し、神奈川県DME普及促進モデル事業にてJFEスチールにて使用。
また、JFEスチール内に窒素加圧式充填ステーションを設置して、実用試験を行った。国土交通大臣認定車第6号

日産ディーゼル コンドル

日産ディーゼル コンドル

2004年 国土交通省/次世代低公害車開発促進プロジェクトで、(独)交通安全環境研究所と日産ディーゼル工業(株)(現;UDトラックス(株))が共同で開発したDMEトラック
GVW20トン 列型噴射システム 国土交通大臣認定車第5号

いすゞ エルフ

いすゞ エルフ

2006年 (独)交通安全環境研究所がいすゞエルフをベースにボッシュ(株)の噴射系を使用し、DME改造。 2006年5月に大臣認証を取得した。国土交通大臣認定車第7号

いすゞ エルフ

いすゞ エルフ

2006年 国土交通省/次世代低公害車開発促進プロジェクトにて(株)いすゞ中央研究所が開発。
国土交通省の大臣認定を取得し、100,000kmの走行試験を行った。 国土交通大臣認定車第8号

日産ディーゼル コンドル

日産ディーゼル コンドル

2007年 国土交通省/次世代低公害車開発促進プロジェクトで、(独)交通安全環境研究所と日産ディーゼル工業(株)(現;UDトラックス(株))が共同で開発したDME散水車 国土交通大臣認定車第9号

いすゞ エルフ

いすゞ エルフ

2009年 国土交通省/次世代低公害車開発促進プロジェクトにて(株)いすゞ中央研究所が開発
同一仕様にて2台製作。 国内で始めて運送事業者による実証走行を実施(緑ナンバーとして運用)
国土交通大臣認定車第10,11号

海外のDME自動車

中国で初のDME大型バスオ

中国で初のDME大型バス(2005年4月)

スウェーデンVOLVO DMEトラック

スウェーデンVOLVO DMEトラック(2005年2月)

スウェーデンVOLVO DMEトラック

スウェーデンVOLVO DMEトラック(2010年9月)

DME充填ステーション(DMEスタンド)と充填装置

1.DME充填ステーション設置の歴史

 DME自動車の走行試験を支える設備として、DME自動車にDME燃料を充填する各種充填ステーションが設置されました。

DME充填ステーションの種類

設備設置
時期
設置場所製造装置
種別
原理
方法
貯蔵
タンク
充填速度(L/min)
1充填
ステーション
2003年
11月
つくば市産業技術
総合研究所
第1種ポンプ式1.030
2充填
ステーション
2004年
3月
横浜市ニヤク
コーポレーション
第2種加温・
加圧式
1.020〜30
3調合&充填
ステーション
2004年
7月
新潟市東邦アーステック第1種ポンプ式3.930
4充填
ステーション
2005年
1月
川崎市THINK第2種窒素
加圧式
1.425

DME落下式DME充填ステーション

1.落下式・ポンプ式DME充填ステーション

国内最初の落下式(高低差利用)実験用設備。
原理はきわめて簡単で、高所に設置した容器の液化DMEをパイプで落下させ、その勢いで車両の燃料タンクへ充填するシステム。実際の使用はポンプを使っての供給。
第1種製造製造設備のDME充填ステーション。

加温加圧式DMEステーション画像

2.加温加圧式DME充填ステーション

電気熱気化器(蒸発気)利用による第2種製造設備の充填ステーション
ポンプを使用せず、DMEを電気加熱して作った高圧DME蒸気でDME液を加圧して自動車に充する方式。

DME自動車燃料調合設備と充填スタンド

3.DME自動車燃料調合設備と充填スタンド

自動車用DME燃料調合設備と充填スタンド。
つくば-新潟-横浜間のDME自動車フリート走行試験実施にあたり、DME燃料の供給インフラのひとつとして設置。ポンプ加圧式。

窒素加圧方式DME充填スタンド

4.窒素加圧式DME充填スタンド

加圧窒素ガスによる押し出しタイプの第2種製造設備充填ステーション
JFEスティール内で走行するクレーン付DMEトラックへ充填するために設置。
設置場所は、川崎市の研究開発地域であるテクノハブイノベーション川崎(通称THINK)。

2. DME急速充填装置

 DME自動車は中・大型トラックを中心として普及を図る狙いであることから、軽油中・大型トラックにおける軽油給油スピード(80L/min)と同等のDME充填スピードの充填装置が必要となるため、DME急速充填装置を2011年にトキコテクノ㈱が開発しました。この装置は、LPガス自動車と同様な加圧充填方式ではなく均圧充填方式を採用しています。均圧充填方式はDMEスタンドのDME貯槽とDMEトラックの燃料容器の気相部を連結して充填する方式で、外気温やDMEトラック燃料容器内DME温度の影響を受けることなく急速充填が可能な充填方式です。均圧充填装置に適用する充填ノズルとして、液相ラインと気相ラインの2口を同時に着脱できる充填・均圧ライン一体型ノズルを㈱宮入バルブ製作所が開発しました。

急速充填装置
充填・均圧ライン一体型ノズル
LPガス自動車と同様な燃料充填:加圧充填方式
DME急速充填装置:均圧充填方式

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生協の低公害車開発・普及への取り組みの意義
「協う」第122号.pwd (kurashitokyodo.jp)

  加賀美 太記(かがみ たいき)
    (京都大学大学院経済学研究科博士後期課程、「協う」編集委員)

はじめに

低公害車-天然ガスや電気など、ガソリンや軽油に比べて環境負荷の少ない燃料を利用した自動車を指す。
地球温暖化などへの意識の高まりや、自動車産業の競争環境の変化を受けて、現在急速に開発・普及が進んでいる。
この動きは一般消費者向けよりも、事業者向けにおいてより顕著である。
てんぷら廃油を燃料とした路線バスや運送業者のトラックなど、多くの事業者が低公害車を事業に導入している。
この低公害車を日本の生協が本格的に導入したのは1994年であった。
温暖化問題が顕在化するよりも前であり、日本の流通業者の中でも群を抜いて早かった。
その後、多くの流通業者が低公害車を採用したが、物流の低公害化において、生協は先駆けであったと言えよう。
生協の低公害車の導入と普及に大きな役割を果たしたのが「コープ低公害車開発株式会社」 である。
同社は2006年3月に社会的使命を果たしたとして、惜しまれつつ解散したが、社会問題の解決への取り組みを事業化するソーシャルビジネスが注目を集める今日、生協の日用品配送事業における環境問題対応を考え続けてきた同社の役割を改めて検討することには意味があるだろう。
今回は、同社の設立当時から低公害車の開発・普及に携わってきた元専務・若狭良治氏(現社団法人DME自動車普及推進委員会理事・事務局長)への取材をもとにして、生協の社会的事業者としての役割について考えてみたい。
電気自動車開発の挫折からLPGトラックへ
低公害車であるLPG(液化石油ガス)トラックを、生協が初めて本格的に配送トラックとして採用したのは1994年であるが、その取り組みは4年前の1990年の「コープ電動車両開発株式会社」の設立をきっかけとして始まっていた。
コープ低公害車開発株式会社の前身である同社は、コープかながわ、コープしずおかなど全国の20生協が共同出資で設立した。
名前の通り、当初は配送用トラックを納入している自動車会社と共同で、電気自動車の研究開発・普及を進めることが役割であった。
しかし、いまだ電気自動車が十分に普及していないことからわかるように、モーターや蓄電池などの技術的ハードルが高く、開発費用も一台数千万円と高額であった。
そのため、独自の資金で開発した2台と、 東京都の補助を受けて東京の生協に納車した試作車の3台、計5台を開発した段階で電気自動車の開発は断念し、1993年から石油代替燃料であるLPGを燃料とする低公害車の開発・普及へと舵を切ることになった。
LPGエンジンは黒煙を出さず、窒素酸化物の排出量も少ないなど、 クリーンなエンジンという特徴を持っており、燃料補給スタンドも比較的広い範囲に存在しており、インフラ面でも現実性を持っていたからである。
同年11月には試作車が完成し、 翌94年7月にコープえひめが第一号車を導入したのを皮切りに、全国の生協で導入が進むこととなった。
1994年6月には、コープ電動車両開発株式会社を「コープ低公害車開発株式会社」と社名を変更し、その普及にまい進することとなる。
最盛期には全国で5,500台を超えたLPG配送トラックはこうして誕生したのである。
職員間での意見の交流担当者会議の意義
このように、LPGトラックの開発・普及は一見すると順調に進んだかのように見える。
しかし、普及には様々な困難が伴った。
たとえば、荷物を積んで坂道を走る配送トラックに必要なパワーが本当に得られるのかといった点が、生協の車両担当者の不安の種となっていた。
そのため、担当者を集めた生協車両低害化実務担当者会議を開催した。
若狭氏によれば、この担当者会議の果たした役割は大きく、 全国各地の独自な課題を車両開発に反映させることができただけでなく、担当者が車両開発に関わることを通じてLPGトラックの意義を学び取り、積極的に各地の生協へ意義を伝えていってくれたという。
それだけではなく、 実際に配送ルートを走らせるなどのテスト・デモ走行を全国各地でおこなった。
1993年11月に完成したLPGトラックの試験車のテスト走行だけでなく、 開発当初のトヨタから、三菱、マツダ、いすゞとメーカーを増やしながら、併せて全国キャラバンでLPGトラックのデモ走行をおこなうなど、低公害車への理解を深めてもらう取り組みを進めたのである。
組合員への普及を目的とした取り組み
職員だけではなく、 組合員の理解を得ることも同社では忘れていなかった。
会員制組織でもある生協は、学習する組合員という強みを持つものの、反面一つ一つの活動について組合員の理解を得ていくことが不可欠である。
そのため、若狭氏らは全国各地を飛び回って低公害車についての学習会を組織するなど、組合員を対象とした低公害車の学習活動、セミナーの開催に取り組んだという。
生協が低公害車導入の検討を始めた1990年代初頭は、温暖化などの環境問題についての社会的な関心はそれ程高かったわけではない。
当時の問題は大気汚染などの公害であり、それも1980年代の各地の公害闘争の終結とともに関心が廃れつつある状況であった。
そのため、 最初の反応は決して良いものではなかった。
それでも、安全・安心を掲げる生協が排ガスをまき散らしながら事業を進めている現状への憤りや、ドライバーに代表される職場や地域の健康問題を何とかしたい、という思いを伝えるべく活動を続けていった。
その結果、徐々に組合員の理解を得ることができたという。
そのような理解ある組合員の声がLPGトラックの普及を後押ししてくれたのである。
社会的事業者としての生協の役割
コープ低公害車開発株式会社と、 それを構成する生協の担当者や組合員を中心とした積極的な取り組みによって、 生協は配送トラックの低公害化という社会的取り組みにおいて一歩先を行くこととなった。
その背景には、担当職員と組合員の理解、そして若狭氏らの「排ガスによる大気汚染・健康問題を何とかしたい」という強い思いがあった。
この事例から社会的事業者としての生協の特徴と役割について考えみよう。
ソーシャルビジネスの難しさは、社会問題の解決の取り組みから収益をあげる点にある。
社会的な意義があるからといって、誰もが高いお金を支払ってくれるわけではない。
その点、社会問題に対して意識の高い組合員を相手とした事業をおこなう生協は、ソーシャルビジネスの基礎的な条件を持っていると言えるのではないだろうか。
しかし、そのためには職員の強い思いと組合員を巻き込む取り組みの二つが必要となろう。
その際は、コープ低公害車開発の進めた学習活動のように、社会問題に対して生協がどう関わっていくのかを議論することが重要となる。
その議論を踏まえ、職員・組合員が一体となって事業・運動に取り組んでいけることは、ソーシャルビジネスにおける生協の強みだと考えられる。
くわえて、これらの取り組みによる「公共性」の追及が、生協の社会性を担保することに繋がる。
たとえば、コープ低公害車開発株式会社は低公害車の普及を進めるという社会的な目的を持った組織であり、生協組合員のためだけの組織ではなかった。
そのため、行政から支援を受け、連携することも可能であった。
同社の解散後も各地の生協は低公害車に関して種々の努力を続けているが、 行政との協力は不調となっている。
行政に認められることが全てではないにしろ、生協が社会の一構成員として受け入れられるためには、自らが社会的な存在であることを自覚して、社会にどのように関わるかを考え、実行することが必要とされているのである。
職員・組合員がともに社会問題に関わっていけることが生協の特徴であり、その取り組みは自らの存続にとっても大きな意味を持つ。
とはいえ、事業連合化などによって各生協の規模が拡大し、組合員の性質も大きく変わった今日においても、そのようなことを追及するのは難しいかもしれない。
しかし、そういった変化の渦中にある今だからこそ、社会問題に対する職員と組合員の思いを活かした事業・運動を考えていく必要があるのではないだろうか。
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「協う」とは?
所報「協う」は、2012年3月発行の129・130合併号をもって休刊しています。
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「くらしと協同の研究所」とは
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