全国農業新聞 2024年11月1日 【食農耕論】鈴木宣弘
鈴木宣弘 東京大学特任教授・名誉教授
「食料・農業・農村基本計画」の論点(前・中・後篇)



鈴木宣弘 東京大学特任教授・名誉教授 1958年三重県生まれ。 東京大学農学部卒業後、農林水産省入省。 九州大学大学院教授を経て、2006年から東京大学大学院教授、24年4月から現職。 食料・農業・農村政策審議会委員などを歴任。 日本の食料安全保障問題の第一人者として食料危機への対応を訴え続ける。 『このままでは飢える!食料危機の処方箋』『国民は知らない「食料危機」と「財務省の不適切な関係』など著書多数 |
全国農業新聞 2024年11月1日【食農耕論】 鈴木宣弘 東京大学特任教授・名誉教授 「食料・農業・農村基本計画」の論点(前篇) 食料自給率とその関連指標の位置づけ 生産要素や資材の確保状況は自給率に集約される構成要素 今何が求められているのか 全国の農村を回っていると、高齢化が進み、農業の後継ぎがいない、中心的な担い手も耕作を頼まれても引き受けきれなくなって、耕作放棄地が増えている深刻さを目の当たりにする。 農業従事者の平均年齢が68.7歳という衝撃的数字は、あと10年足したら、日本の農業の担い手極端に減少し、農業・農村が崩壊しかねない、ということを示しており、さらに、今、肥料、飼料、燃料などのコスト高を販売価格に転嫁できず、赤字に苦しみ、酪農・畜産を中心に廃業が後を絶たず、崩壊のスピードは加速している。 一方で、中国などの需要増加、異常気象の通常化、紛争リスクの高まりなどで、海外からの食料・生産資材の輸入が滞るリスクが高まっている。 「お金を出せばいつでも輸入できる時代ではなくなった」今、不測の事態に国民の命を守る食料は十分に供給できるのかが懸念される。 そういう中で、25年ぶりに食料・農業・農村の「憲法」たる基本法が改定されることになった。 基本法の見直しをやる意義とは、世界的な食料情勢の悪化と国内農業の疲弊を踏まえ、不測の事態にも国民の命を守れるように国内生産への支援を早急に強化し、国民が必要とし、消費する食料は、できるだけ国内で生産する(国消国産)ために、食料自給率を高める抜本的な政策を打ち出すためだ、と考えられる。 新基本法は食料安全保障の確保の必要性を掲げている点で評価されるが、それをどう達成するのかについての内容は不十分だ。 新基本法の原案には食料自給率という言葉がなく、「基本計画」の項目で「指標の一つ」と位置付け、食料自給率向上の抜本的な対策の強化などは言及されていなかった。 与党からの要請を受けて、「食料自給率向上」という文言を加えるという修正は行われたが、なぜ自給率向上が必要で、そのために抜本的な策を講じるという言及はなされていないのはそのままだ。 したがって、これから基本法に基づいて策定される5年間の基本計画で具体化が極めて重要になる。 関連指標を勘案した総合自給率が提示されるべき まず、食料自給率という指標の位置づけについても審議会関係者の中では、「食料安全保障を自給率という一つの指標で議論するのは、守るべき国益に対して十分な目配りがますますできなくなる可能性がある」とさえ指摘されていたという。 事務方は「自給率という『一本足打法』ではだめだ」と言う。 その根拠が、農地や労働力や肥料などの生産要素・資材の確保状況などが食料自給率とは別の指標として必要だと説明されている。 これは、食料自給率の意味が理解されていないことを意味する。 食料自給率は生産要素・資材と一体的な指標である。 なぜなら、生産要素・資材がなかったら、食料生産ができないから、食料自給率はゼロになる。 これは、今も、飼料の自給率が勘案されて38%という自給率が計算されていることからもわかる。 具体的には、ほぼ100%輸入に頼っている肥料を考慮すると実質自給率は22%、さらに、野菜だけでなくコメなどの種の自給率も10%に低下すると、実質自給率は最悪の場合9.2%という試算ができる。 つまり、生産要素の確保状況が問題なのはそのおりであるが、それを考慮すると実質自給率が低下する形で、それらは自給率と一体的な指標であり、すべてを勘案した総合・実質自給率を高めることが重要なのである。 だから、生産要素の国内での確保状況、その自給率が大切な指標であることは間違いないが、それと食料自給率という指は独立してあるわけでなく、飼料以外の生産要素も飼料と同様に勘案することで実質自給率が計算されるものであり、生産要素・資材の確保状況は自給率に集約される構成要素であることを理解してもらいたい。 予算と工程表の明治の必要性 戦後の米国の占領政策により米国の余剰農産物を受け入れて食料自給率を下げていくレールに乗せられた我が国は、これまでも基本計画で自給率目標を5年ごとに定めても、一度もその実現のための予算と工程表が示されたことがなかった。 今回、少なくとも年1回、自給率目標などの達成の進捗状況を公表することが基本法に追加されたのは一定の前進と評価されるが、ただ数値を確認するだけでなく、実現のための工程表と予算が基本計画に明示されることが不可欠だ。 |
全国農業新聞 2024年11月8日 【食農耕論】 鈴木宣弘 東京大学特任教授・名誉教授 「食料・農業・農村基本計画」の論点(中篇) 食料自給率向上の具体策 みなが潰れない政策を強化 現場を支え自給率高める基本計画に 食料安保を平時と有事に分ける意味があるのか? 有事立法は基本計画で軌道修正を 今の政策が十分だという認識は正しいのか 基本計画で、食料自給率目標とその関連指標の目標を定めた上で、予算工程表を示し、具体的な施策をどのように組み合わせるのか。 農水省の事務方は、農村の弊を改善し、自給率向上のための抜本的な強化は必要ないとの認識を示している。 すでに、畑作には内外価格差を埋めるゲタ政策がある。 コメにゲタがないのは関税が高いから内外価格差を埋める必要がないので、そういう政策はできないが、コメなどには収入変動 和のナラシ政策もある。 さらに収入保険もある。 中山間地・多面的機能直接支払などが行われている。 だから十分だ、新たなは必要ないと。 しかし、では、それでも農業の疲弊が加速しているのはどう説明するのか。 政策が不十分だから農業危機に陥っているのは明白ではないか。 農業就業人口がこれから試る、つまり、農家が慣れていくから、一部の企業などに任せていくしかないような、そもそもの前提が根本的に間違っている。 みなが慣れないように支える政策を強化することが不可欠で、そうすれば事態は変えられるのに、それを放棄しである。 そもそも、ナラシも収入保険も過去の価格・売上の平均より減った分の一部を補てんするだけなので、農家にとって必要な所得水準が確保されるセーフティネットではないし、コスト上昇は考慮されないから今回のようなコスト高には役に立たない。 中山間地多面的機能支払いも、よい仕組みだが、集団活動への支支援が主で個別経営の所得補てん機能は十分ではないとの指摘が多く聞かれる。 相変わらずの「規模拡大、輸出、スマート農業だけでよいのか コスト高に苦しむ農家の所得を支える仕組みは現状で十分かのように説明され、抜本的対策は全く提案されないまま、相変わらずの「規模拡大によるコストダウン、輸出拡大、スマート農業」が連呼され、さらに加えて、海外農業生産投資企業の農業参入条件の緩和が進められるといった方向性が新基本法と関連政策で示された。 基本計画もそうした方向での具体的な施策だけになったら、企業利益につながっても、どれだけ農家の利につながるのか。 輸出の前に脆弱化する国内供給をどうするかが先だということが当然であるし、仮に、輸出が伸ばせても、農家の手取が増えて、所得が増えるわけではない。 多くは輸出に関わる企業の利益である。 また、スマート農業が現場で農家に有効に活用できる範囲は多くはないというのが現場の農家の実感と聞く。 これも、関連企業への税制や金利の優遇で、企業支援の要素が強い。 さらに、これまで半分未満でないと認めなかった農業法人における農外資本の比率を3分の2未満に引き上げて、農外資本の農業参入を緩和する。 本当に農村現場を見ているとは思えない。 規模拡大によるコストダウンも追求すべきだが、我が国の土地条件の界を知らないと机上の空論だ。 まずは、コスト高で疲弊が強まる農村現場を支え、早急に食料自給率を高める政策の提示が基本計画に盛り込まれるべきではないか。 有事だけ強制的な増で対応できるのか さらに懸念されるのは有事に備えた対応。 「平時」と「有事」の食料安全保障という分け方が強調されるが、「不測の事態でも国民の食料が確保できるように普段から食料自給率を維持することが食料安全保障」と考えると、分ける意味はあるのだろうか。 今苦しむ農家を支える政策は提示されないまま、平時は輸入先との関係強化と海外での日本向け生産への投資に努めることが強調されている(基本法21条)。 それが必要でないとは言わないが、いくら関係強化や海外生産にしても不の事態にはまず自国民が優先だからあてにはならないし、物流が止まれ生産しても運んでれない。 一方で、有事になった慌ててカロリーを摂りやすいイモなどへの作目転換、増産・供出を、罰金でして強制するという「有事立法」は作った。 平時は輸入に頼り、国内生産を支援せずに有事だけ罰金で脅して強制増産させるなど、できるわけも、やっていいわけもない。 農家支援を強化して自給率を高め、備蓄もしておけば済む話だ。 このような罰金を伴う強制的な作物転換と増産命今の方向性については、基本計画での軌道修正を期待したい。 |
全国農業新聞 2024年11月15日 【食農耕論】 鈴木宣弘 東京大学特任教授・名誉教授 「食料・農業・農村基本計画」の論点(後篇) 多様な農業経営体の位置づけ 担い手に集中では地域を支えられない 直接支払いの強化と出口対策 農家への直接支払いは消費者の支援策 農村コミュニティーの崩壊が前提? 「担い手」の位置づけは、基本計画の重要な要素である。 今回の基本法改定の過程において、農村における多様な農業経営体の位づけが後退しているとの指摘が多くなされてきた。 最終的には、多様な農業者に配慮する文言は追加されたが、条文を見るとわかるように、26条の1項で、効率的かつ安定的な農業経営に対しては「施策を講じる」としている一方で、2項で、多様な農業者については「配慮する」としていることから、施策の対象は効率的かつ安定的な経営で、その他は施策の対象ではない、と位置づけていることがわかる。 基本的な方向性は、長期的・総合的な持続性ではなく、狭い意味での目先の金銭的効率性を重視していることが懸念される。 農家からの懸念に、ある官僚は「潰れる農家は潰れたほうがよい」と答えたと聞いた。 基本法に自給率向上を書きたくなかった理由には、「自給率向上を目標に掲げると非効率な経営まで残ってしまい、予算を浪費する」という視点もあったと思われる。 今、農村現場は一部の担い手への集中だけでは地域が支えられないことがわかってきている。 定年帰農、兼業農家、半農半Ⅹ、有機・自然栽培をめざす若者、耕作放棄地を借りて農業に関わろうとする消費者グループなど、多様な担い手がいて、水路や畔道の管理の分担も含め、地域コミュニティーが機能し、資源環境を守り、生産量も維持されることが求められている。 短絡的な目先の効率性には落とし穴があることを忘れてはならない。 このことが基本計画に反映されることが不可欠であろう。 価格転嫁対策の実効性と直接支払いの重要性 基本計画の中で、価格転嫁策はどう組み込まれるのか。 基本法改定にあたって、一つの目玉政策とされたのが、コスト上昇を流通段階でスライドして上乗せしていくのを政府誘導する制度であったが、参考にしたフランスでもエガリムⅡ法の実効性には疑問も呈されているし、小売り主導の強い日本ではなおさらであることは当初から明白であった。 まず、農家の生産コストに見合う支払い額が支払われていない事態を解消しなくてはならない。 価格転嫁ができていないのは確かに是正したいが、あまり価格が上がったら消費者も苦しい。 だからこそ、政策の役割がある。 生産者に直接支払いをすることで所得を補てんし、それによって消費者は安く買える。 農家への直接支払いは消費者支援策でもあるのだ。 国民の命を守るのが「国防」なら農業・農村を守ることこそが国防 もう一つのポイントは生産調整の限界への対応だ。 「コメ不足」「バター不足」でも明白なとおり、生産調整で農家を振り回して疲弊させてしまうのでなく、出口・需要を創るために財政出動する、需要創出に財政出動を、つまり、生産調整から販売調整に切り替える必要がある。 それによって、水田を水田としてフル活用しておけば、不測の事態の安全保障になる。 そんな金がどこにあると財務省が言えばおしまいになるが、これこそよく考えてほしい。 米国の在庫処分といわれるトマホークを買うのに43兆円も使うお金があるというなら、まず命を守る食料をしっかりと国内で確保するために、仮に何兆円使ってでもそのほうが安全保障の一丁目一番地だ。 こういう議論をきちんとやらなくてはいけない。 備蓄費用は安全保障のコストだと認識すべきだ。 欧米は「価格支持+直接支払い」を堅持しているのに、日本だけがどちらも手薄だ。 欧米並みの直接支払いによる所得補てん策と備蓄や国内外援助も含めた政府買い上げによる需要創出政策を早急に導入すべきであろう。 本来、関連法の一番追加されるべきは、現在、農村現場で苦闘している農業の多様な担い手を支えて自給率向上を実現するための直接支払いなどの拡充を図る法案ではないか。 生産コスト高に対応した総合政策がないから農家の廃業が止まらないという政策の欠陥を直視すべきだ。 その柱は、 ⓵ 農地が維持されることによる安全保障や多面的機能の発揮への基礎支払い。 ⓶ 経営が継続できる所得が維持できるための直接支払い。 ⓷ 政府買い入れによる備蓄と国内外援助で、需給の最終調整弁を国が持つこと ――などであろう。 10アール当たり3万円の農地維持基礎支払い、標準的な生産費と標準的な販売額との格差を不足払いする制度の一環として、10アール 当たり3万円の稲作赤字補てん、1頭当たり10万円の酪農赤字補てん、さらに、60キロ当たり1.2万円で500万トンの備蓄・国内外援助用の米買い上げ、これらを足しても2・7兆円、これだけの予算拡充で農業・農村は大きく「復活」し、日本の地域経済に好循環が生まれる。 現状の農水予算2兆円に約3兆円加えても5兆円だ。 もともと、農水予算(物価を考慮した実質額)は5兆円以上あった。 以前に戻すだけだ。 いざというときに国民の命を守るのを「国防」というなら、食料・農業・農村を守ることこそが一番の国防だ。 今こそ、林水産省予算の枠を超えて、安全保障予算という大枠で捉え、国民の食料農業・農村を守るために抜本的な政策と予算が不可欠である。 基本計画がそこに踏み込むものであってほしい。 |