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事務局長の若狹良治が、1969年3月21日~1991年6月30日の間、勤務した日本生活協同組合連合会のOB会で、2025年11月7日に中央支所2025年秋の交流会を開催しました。
会場は、「明治大学・平和教育登戸研究所」を見学しました。
下記にこの資料館が「ここで開発された兵器・資材には、人道上・国際法規上問題のあるものも多いのですが、それらを直視し、歴史的事実として語り継ぐことに重点をおきました。」と書かれていますが、正直、これまで様々な資料館や博物館を見てきましたが、率直にびっくりしました。
風船爆弾のことを知っていましたが、何も知らなかったということがわかりました。
時間をつくってまた来たいと思いました。
当日、若狹がスマホで撮影した写真を掲載します。
| 明治大学・平和教育登戸研究所資料館 ガイドブック から |
| はじめに 登戸研究所と秘密戦 現在の明治大学生田キャンパスは、かつての登戸研究所の敷地内に立地しています。 登戸研究所とは, 旧日本陸軍が秘密戦のための兵器・資材を研究・開発するために設置した研究所で、一般にはその存在は秘密にされていました。 秘密戦とは,防諜(スパイ防止)・諜報(スパイ活動)・謀略(破壊・撹乱活動・暗殺)・宣伝(人心の誘導)の4つの要素から成り立っていて、戦争には必ず付随するものの、主として秘密のうちに水面下で行われる戦いのことです。 秘密戦の担い手は通常の作戦部隊ではなく、憲兵や特務機関員、陸軍中野学校で養成された工作員などでした。 秘密戦は、戦果が公表されることも稀で、戦後になっても公式の記録が残されないのが普通です。 昭和の戦争と登戸研究所の変遷 登戸研究所は、1937 (昭和12)年11月、「陸軍科学研究所登戸実験場」として開設されました。 最初は、主に電波兵器(く号兵器・ち号兵器)・無線機器・宣伝機器(せ号兵器)などを開発するための施設でしたが、1939年に大幅に機能が拡充され、名祢も「陸軍科学研究所登戸出張所」となりました。 従来の電波・無線関係が第一科になり、新たに毒物・薬物・生物兵器(主に家畜を殺傷したり植物を枯らすさまざまな細菌兵器)・スパイ用品などをあつかう第二科、偽札・偽造パスポート製造をおこなう第三科が設置されました。 この頃に研究所が拡充されたのは日中戦争が泥沼化し、欧米諸国が中国への支援を強めたために、日本軍も中国に対してだけではなく、水面下で、欧米諸国への秘密戦を強化する必要があったからです。 登戸研究所の正式名称は「陸軍技術本部第九研究所Jをへて、最終的には1942年10月に「第九陸軍技術研究所」(10ヶ所あった陸軍技術研究所の一つ)へと変わりました。 この頃には, 兵器の量産部門である第四科が置かれるともに、第一科では風船爆弾(ふ号兵器)の開発が行われました。 研究所の最盛期の1944年には、敷地11万坪、建物100棟余、技術将校・技師・技手(ぎて)などの幹部所員250名、一般の雇員・工員などをあわせると総勢1,000名に達する大規模な研究所になりました。 しかし, 戦局の悪化にともない、1945年には登戸研究所の主たる機能は、長野県伊那地方を中心とする地域に分散・疎開し、そこで敗戦をむかえます。 生田の地にあった登戸研究所の敷地のおよそ半分にあたる部分を戦後、1950年に明治大学が建物ごと取得し生田キャンパスが開設されました。 登戸研究所資料館の特徴 この資料館の特徴は4つあります。 まず第一にこの資料館が旧日本軍の研究施設をそのまま保存・活用して資料館にした全国でも唯一の事例であるということです。 資料館(36号棟)は、登戸研究所第二科の実験棟のひとつ(農作物を枯らす細菌兵器の開発棟)であり、建物そのものが貴重な戦争遺跡です。 そのため、可能なかぎり、建物に作り付けの設備はそのまま残し、部屋割り・内装・照明も戦時中の姿に近いものに復元しました。 また、室内にフレームを組んで、展示をおこなうというやり方を採用し、建物内部の設備・壁面などがなるべく見られるように工夫しました。 第二に、戦争には必ず付随しますが、歴史にはほとんど記録されていない秘密戦に焦点をあてた、日本では唯一の資料館であるということです。 第三に、登戸研究所の全貌、各科の活動の概要を、実証的かつ視覚的に展示した唯一の常設資料館であるということです。 ここで開発された兵器・資材には、人道上・国際法規上問題のあるものも多いのですが、それらを直視し、歴史的事実として語り継ぐことに重点をおきました。 第四に、登戸研究所の史実発掘過程をも展示の対象にしたことです。 元所員の貴重な証言・手記が明るみに出るきっかけをつくったのは自分の住んでいる地域の歴史を調べようとした一般市民・教員・高校生たちでした。 こうした人々が、知られざる歴史、戦争の暗部を解明するきっかけをつくったということも分かるように展示しています。 設立趣旨-開館にあたっての明治大学からのメッセージ 登戸研究所は、戦前日本の戦争・軍隊を知る上で、きわめて貴重な戦争遺跡のひとつです。 登戸研究所は、戦争には必ず付随する「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)という側面を担っていた研究所であり、そのため、その活動は、戦争の隠された裏面を示しているといえます。 登戸研究所の研究内容やそこで開発された兵器・資材などは、時には人道上あるいは国際法規上、大きな問題を有するものも含まれています。 しかし、私たちはこうした戦争の暗部ともいえる部分を直視し戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要があると思っています。 それは、私たち大学と同じ科学研究にあたる場が、戦争という目的のためには、場合によっては尋常な理性と人間性を喪失してしまいかねない機能をもってしまうことを強く自戒するためでもあります。 私たちは, 登戸研究所の研究施設であったこの建物を保存・活用して「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を設立し、登戸研究所という機関のおこなったことがらを記録にとどめ、大学として歴史教育・平和教育・科学教育の発信地とするとともに、多年にわたり、登戸研究所を戦争遺跡として保存・活用することをめざして地道な活動を続けてきた、地域住民・教育者の方々との連携の場としていきたいと考えています。 2010年3月29日 明治大学 |


















